

「奥会津へ旅をしたとき、最初に訪れたのが横川でした。鉤の手のような道を曲がったら、20軒ほどの茅葺の家が忽然と現れて・・・・・・何とも心やすまる風景でした」(『一個人』2000年11月号より)
上の絵は、1973年4月、『夜行3』に発表されたペン画集「旅の景色」内の一枚で、会津西街道の小集落・横川を描いたものである。つげが横川を訪れたのは1970年と翌71年の5月で、ペン画には「昭和46年5月旅行」と日付が付記されている。
ペン画の横川には4軒の茅葺民家が立ち並ぶが、現在、周辺に茅葺の建築物は一軒もない。全てトタンが被せられていて、トタンの青は空によく映えるものの、建物を見る限りでは他の地域とほとんど違いはない。しかし、町並みはつげが描いた当時の面影を色濃く残しており、脇を流れる男鹿川のせせらぎに耳を傾ける静寂があった。横川は、愛さずにはいられない巡礼の好スポットであった。


(左)集落の入り口は大きくカーブして外から見えない枡形を形成しているため、外部との隔たりを感じさせる。


95年ごろまで営業していたという「ゑび寿屋」。昭和元年の建造物だとか。

磨き上げられたガラス戸に今も健在な「商人宿」魂を見る
つげは「あまりにみすぼらしかったためだろうか、宿屋があったとは知らなかった。わかっていたら泊まったのに」(前掲書)と語っている。同行した会員は興奮した面持ちで「ここに僕は親戚の家を持ちたいですよ」と繰り返した。「もうひとつの岩瀬湯本」とでも呼ぶべき横川は、泊まりたいのに泊まれない、そんなところがますますつげ義春的であった。