『京 都 ブ ラ ブ ラ 日 記』 散 策 記
窓 烏


 この文章は、つげ義春氏のエッセイ『京都ブラブラ日記』に準拠しています。
六月の上旬、京都に下宿している私が、このエッセイに登場する場所を写真を撮ってまわってきました。以下、引用しながら見てきた様子を紹介します。


1.東京から京都へ

近々『ガロ』に近藤勇の話を連載する予定で“意欲を燃やしている”水木さんに、時代物の背景になるような所を写真に撮ってきてほしいと頼まれたので、北川君(水木プロの一員)と二人で京都へ行ってきた。一月の十四、十五日の二日間だった。(以下、青字は全て『京都ブラブラ日記』より)


 これは、冒頭の一文です。近藤勇はTVドラマで話題の新撰組の一員でしょう。京都はちょうど今、流行に乗じて新撰組を観光の売りにしているみたいで、新撰組ののぼりや新撰組グッズなどをよく見かけます。京都一の繁華街の最寄駅の一つ、京阪三条駅には、改札を出たところに新撰組の三人の等身大人形が気合を入れて立っています。
 つげ氏の旅している一月半ばの京都は、とても寒いです。京都は盆地なので、寒暖の差が大きく、夏は暑く、冬は寒い。

 さて、上に引用した文章で始まるつげ氏のエッセイは、京都へ向かう新幹線の中でのつげ氏と「北川君」の会話のやりとりへと続きます。二人は特に細かい指示を受けずに、水木しげる氏より五万円の取材費用を渡されていたので、その使い道について話すのです。はじめは、その五万円の額が贅沢に思え、「(水木)先生は大人物だからなア」などと気をよくしていた二人でしたが、移動代や宿泊費、撮影費などを計算してみると、どうやら最低限の額しか渡されていないことが判明し、がっかりしてしまいます。

「先生は、ときどきコマイときがあるからなア」
と北川君は眼鏡を鼻先にずり落したままタメ息まじりにつぶやいた。
そして、「そういえば『ガロ』の原稿料は日本一安いんだそうですね」
と話を飛躍させた。

 東京から京都へ、新幹線なら二時間半くらいで着いてしまいます。大学の友人で、奈良から二時間半かけて通学している人もいるので、それを考えると東京と京都は、新幹線を使う限り、意外と近いものです。



2.もうやっていなかった「清水房」

京都は二人とも初めてだった。紹介してもらった宿は「南座」の斜め向いの交番のわきから真直ぐ入った、小さな橋を渡ったすぐ左にあった。「清水房」という高級茶室のような名前の宿だった。


 南座(みなみざ)は、京都一の繁華街である四条河原町から、四条大橋を渡ったところにドドーンと存在します。祇園の入り口にある。和製クッパ城のような派手な外観で、なんだかすごい。観光ガイドによると日本最古の劇場とのことです。南座の斜め向いには今も交番があり、縄手通という道を入って少し行くと、「やまとはし」と書かれた「小さな橋」がありました。



 橋を渡ったすぐのところに「清水房(しみずふさ)」はありました。
 清水房の左隣は、大きくてキレイな料亭、右隣は一階がキャバレーの雑居ビル。その双方に挟まれた非常に狭い空間に、木造のいかにも古い、背の低い玄関だけみたいな建物がありました。「旅館」とだけ書かれた表札がかかっています。うまく表現できないので、写真を見てください。

 隣の料亭のご主人が教えてくれたことには、清水房はもう営業していなくて、使われていない。表から見ると玄関だけだが、玄関を入って細い廊下を進むんだ先に部屋が広がっている。つまりカギ型の構造で、隣の雑居ビルの後ろを回り込むように敷地があるとのことで、実際に裏側に案内してもらいました。確かに。裏から見ると、廃墟があることが一目で分かります。手入れされていない庭の草木が伸び放題で、小さなジャングルのようになっていました。

 この「清水房」は印象的でした。周囲は料亭や飲み屋などで現代的に栄えているのに、なぜか清水房だけ手付かずで、廃墟のまま残されている。
 ということは、完全な廃墟ではなく、持ち主がどこかにいらっしゃるのでしょう。でも、誰かが出入りし、使用している雰囲気ではありませんでした。長い留守、玄関には「旅館」の表札、格子戸の前に置かれた赤いコーン。不思議な場所でした。(調べてみたところ、2001年に清水房にて市松人形の展覧会が開催されたとのこと。つい最近まで現役だったんですね。清水房は江戸末期の建築だそうです)。






清水房裏手




3.祇園、三条大橋

この辺りが祇園らしく、古い格子戸の家がたくさんあったので、(水木さんむきだな)と思いながらパチパチ写していると、いつのまにか三条大橋を渡っていた。
 

南座や清水房がある辺りは祇園です。私の見たところ、「古い格子戸の家」はあまりなく、ほとんど食事処や飲み屋、土産物屋だったと思うのですが、昔は多かったのでしょうか。それとも、私が見ていないだけで、そういう場所もあるのかもしれないです。私のイメージで語らせてもらうと、祇園は、表通りが明るい観光客のための土産物屋、食事処、裏通りの一方は猥雑な飲み屋や花街、もう一方が静かな高級老舗料亭、という感じです。

三条大橋

 三条大橋は大きな橋で、四条大橋同様、繁華街への入り口となっているため、人や車の往来で賑わっています。見晴らしがよく、京都市を囲む山々が周りに望めて、下を流れる鴨川が遠く前方後方へ伸びています。京都は高い建物が無いので見晴らしが良いのです。
ちなみに、ここ三条大橋はご存知、東海道五十三次の起点であります。また、現在の橋は1950年に改修されたものですが、1589年に豊臣秀吉によって建設された当時の木橋の面影を残しているらしいです。



4.先斗町、高瀬川

ポント町あたりで、ひと休みするつもりで、高瀬川沿いを下ってくると、北川君が感慨深そうに、
「これが高瀬川ですね。森鴎外の高瀬川ですね」
と言うので、ぼくも、ネオンのキラキラする(もう夜になっていた)川面を見つめていると、
♪つきに〜〜
とカン高い声で
♪サオ〜〜さすう〜〜
と低い声で
♪たかせぶねえ〜〜
と浪曲の「天保水滸伝」の一節が、耳の奥の方で聞こえたような気がしたので、 「ササガワの親分も、ゴロゾオの親分も、今ごろどうしているかなア」なんて、出鱈目なことを考えていた。


 先斗町(ぽんとちょう)は鴨川に沿って伸びる、とても細い通りです。料亭や茶屋、飲食店がダーッと並んでいます。祇園と並ぶ花街です。結構キレイな京都らしい場所です。



先斗町の西隣の通りが木屋町(きやまち)で、高瀬川はここを沿って流れています。高瀬川流れる木屋町は、実は歓楽街のようなところで、周囲は飲食店、カラオケ屋、風俗店などが建ち並び、遊ぶ若者や客引きの方々が往来しています。歌舞伎町のような感じです。高瀬川はかわいそうですが、ごみで汚れています。私が撮影に行ったのは早朝でしたが、辺りは朝帰り的雰囲気が漂っていました。つげ氏が旅行した当時はもっときれいな川だったのでしょうか。所々に事跡の碑が立っていて、歴史的な真面目さの上に、繁華街的な若者臭さや退廃感が覆い被さっている感じで、何か変です。
「(もう夜になっていた)」と書かれているから、つげ氏の周りで夜の街に灯りがつき始め、俄かに繁華街が活気付き始めていた頃合ではないでしょうか。


続きを読む