全国を旅したつげ義春だが、北海道には足を踏み入れていない。
『ガロ』1993年8月号収録『つげ義春旅を語る』では「北海道はやっぱり歴史が浅いっていうイメージがあってね。あと何となく遠いっていう感じがするんですよね。」と述べている。広大で開放的な雰囲気やレジャー大陸としてすっかり俗化した様子を目の当たりにすると、つげ世界との間には大きな隔たりがあるように思われるし、過去の旅遍歴からも足が向かないのは当然と言える。
「旅談義」(『「ねじ式」夜話―つげ義春とその周辺』所収、権藤晋、ラマ舎)によれば、『貧困旅行記』に収められた旅にはどこか物見遊山的要素があったらしいが、最近は宗教的な旅をするように「意識的になってきたのかもしれない」という。この傾向が続けば、今後も北海道を旅することはないだろう。
ところで同インタビュー内でつげは、「行っていない県」として「島根、和歌山、宮崎、鹿児島と山口」を加えた計6県を挙げているが、「つげ義春旅マップ」(『貧困旅行記』所収、新潮文庫)には北海道同様、沖縄の地図がそもそも掲載されていない。果たして沖縄を旅したことはあるのだろうか。
つげは「ひだまりインタヴュウ」(『点燈舎通信3』収録)にて、寒いのは苦手かとの質問を受けて「日本列島が沖縄のあたりに位置していたらよかったと、よく思いますよ」と答えている。もっとも扇情的なタイトルを持つインタビュー「都会に価値なんて一つもない」(『夜行14』収録)では、マキ夫人が「七十年すぎて全共闘とかの若い人たちが都会を捨てて沖縄とか北海道とか、山奥へとかに入っていったけどどうなったのかしらね」と発言するも、明確な返答はない。
『旅マップ』にはその他、愛知・京都に県庁所在地以外の記入がないが、京都については
『京都ブラブラ日記』というエッセイがある。愛知県については91年の奈良見物に出かけたとき、「名古屋へ出て、中央線で帰途につく」という記述があるのみである(『旅年譜』より)。