【下部・湯河原・箱根】
エッセイ「下部・湯河原・箱根」は、文末の日付からもわかるように、昭和60年8月に「家族サービス」で訪れた三泊の小旅行について書かれたものである。91年9月、晶文社から出版された『貧困旅行記』に書き下ろしのかたちで発表され、現在は新潮文庫の『新版 貧困旅行記』で読むことができる。小品ながら、つげの率直な文章に好感が持てる作品だ。細かな描写、感想のいちいちが「つげ的」で、ファンにはそれがたまらない。
以下、非常にマニアックに巡礼してきたので、ぜひ原典にあたりながら読んでいただきたい。下部・湯河原については後日掲載する予定である。
・ 箱根
箱根湯本駅前
「あくる日は小田原を経て箱根へ行った。」
湯河原から小田原まで東海道本線で3駅、16分。小田原から箱根湯本までは箱根登山鉄道で3駅、13分。所要時間合計30分の近距離移動である。
「賑やかな」との記述通り、湯本駅前には土産物屋が立ち並び、観光客でごった返していた。今回私が訪れたのが運悪く祝日にあたったため、混雑のほどはまるで新橋、有楽町と見間違う凄まじいものであった。
駅から直接眺めることは出来ないが、店屋の向こうに流れるのが須雲川である。芦ノ湖北端より国道と登山鉄道に並行して流れ、相模湾へと注ぐ本流・早川と、ここ湯本で合流する。上流は豊富な自然に恵まれ、遊歩道が観光スポットとして有名だが、駅前の対岸には立派なホテルが並ぶ。
須雲川に沿って南西に遡る道が「箱根八里」の旧街道であり、小田原から三島まで続く。街道の途中には寄木細工で有名な畑宿があり、本陣跡や見付跡、石畳や一里塚、そして当時の杉並木
完璧に整備された須雲川と大型ホテル
が今も残っている。騒々しい行楽地から離れ、そちらに向かいたい気もしたが、丹念にエッセイをなぞるのが巡礼の趣旨である。それに、どうせ街道の名残も観光に塗りつぶされ、味気ないものに違いなかった。塔ノ沢の方へ国道を歩いて行く。
国道に車の通行は呆れるほど多く、駅前での渋滞による遅れを取り戻すかのように猛スピードで傍らを走り過ぎる。途中までガードレールに
守られた歩道があったが、それもすぐになくなった。一組だけ出会った徒歩の登山客は、苦笑しながら「これは歩く道ではないね」と言い、すぐに引き返していった。満員の大型観光バスがすれすれで走る山道は、まさに「命がけ」である。
道はもっと厳しくなる
塔ノ沢には「純和風の高級旅館で私たちにはとても泊まれそうにない」「昔からの古風な宿屋」があると書いてある。「宿屋が二、三軒きりで店屋もない」とは言いすぎだが、国道の活況に比べ、町に人の姿は多くない。観光客にとっての箱根の中心地が、宮ノ下なのか、強羅なのか、芦ノ湖なのかは知らないが、少なくとも塔ノ沢ではあるまい。町中には元旅館といった趣の巨大廃墟が何軒かあって、廃墟好きの私を喜ばせた。
(左)昔からの古風な宿屋 (右)廃墟と旅館が混在する
(左)紅葉が美しい (右)廃屋の横に大衆浴場
続いて、「国道から逃げるため、塔ノ沢から登山電車に乗って大平台へ」向かう。
つげは「スイッチバックで登って、早川の渓谷を眼下にして、やはり天下の険といわれる険しさだと思った」と感想を記しているが、何しろ登山鉄道がラッシュ時の常磐線なみに混雑しているのである。「天下の険」も人で隠れ、よく見えない。
観光列車らしく、車内アナウンスで傾斜角度(日本一、世界2位の険しさだという豆知識を得た)や周辺観光スポットの説明を流しており、すっかり興ざめした。普段の旅先が辺鄙な場所過ぎるのだろうか、温泉地に若いカップルが大挙したり、山中を走る電車が1時間に何本もあるということが信じられない。ものの10分で大平台に到着。
隣駅の大平台は「展けた丘の斜面の新興の温泉」地であるが、確かに「森も渓谷もなく、景色は単調」で、わざわざ箱根まで来てこの地を宿泊地に選ぶ物好きな観光客が多いとは思えない。
スイッチバック地点
トンネルを抜けると
そこは観光地だった
「民宿のように小型の宿屋が二十数軒あ」るのは今も同じで(「普通の町屋の構え」をした「小さな宿屋」は特定できなかった)、つげが宿泊した「八」千代荘も健在であったが、湯元の駅で見た人の群れは一向に現れなかった。
ところで、ここでひとつ“自慢話”を披露したい。いや、“幸運話”と言うべきなのかもしれないが、とにかく私は大平台で奇跡的な体験をしているのである。
先にも書いたように、このエッセイの初出は晶文社の単行本なのだが、単行本には「細い路地に宿の並ぶ箱根大平台」として、温泉旅館「玉の湯」の写真が掲載されている。持参した新潮文庫ではこの写真がカットされているため、うっかり見落としていた。このことに気付いたのは帰宅した翌日のことで、まったく取り返しのつかないことをしてしまったと、己の注意不足に悔やんでも悔やみきれなかったのだが、写真をチェックしてみると、ほぼ同じ角度からの「玉の湯」が写っていたのである。
なんということだ。無意識下のつげ義春が発動して、私に奇跡的な一枚を撮らせたのである。これぞ真の「つげ愛」ではないか。私の「つげ愛」ここに極れり――。
そう自賛したいところだが、大平台の集落は小さく、単調な町並みだけに撮影スポットも限られる。つまり撮るべくして撮られた一枚であり、仮に可能性が問題になったとしても、むしろフィルム数を気にしなくてすむデジタルカメラにお礼を言わなければならないのかもしれない。
それにしても、不満ばかりを書いた数行の文章でさえ読者の興味を駆り立て、私のように足を運ばせまでするのは、つげの筆の為せる業であろう。文章作品でも、やはりつげ義春はつげ義春なのである。
(左)大平台入口 (右)集落のそばに射的屋があった
40年前から営業しているというだけあって、店内には異様なムードが
(左)奇跡の一枚 (右)八千代荘と、町の中心部に干された洗濯物たち
(左)大平台駅 (右)大平台の町並み。観光地の趣はない。
「登山電車で終点の強羅まで登」るには、さらに4駅、20分ほどかかる。「会社の寮や団体施設のやたらに多いところで魅力なく」とあるが、そのほかにも一応名物らしき公園があった。色とりどりの花が咲き乱れるはずが、季節柄どれも花をつけていず、枯れ木ばかりが目につく。それでも園内は、ソフトクリームを舐めながら談笑するカップルで賑わっていた。
公園でやることなど何もない、そもそも箱根でやることなど何もなかったのだ。「ロープウェイで登る大涌谷や芦ノ湖も、どうせ期待はずれになるだろうと、行ってみる気になれなかった」とつげは書いているが、観光者として開き直った私は、独り大涌谷へと向かった。
遠方に富士が見える寒空をロープウェイは進んだ。子供がはしゃいで少し揺れたが、それよりもずっと前から、ロープウェイは観光と巡礼の狭間に揺れ続けていた。しかし、乗客のなかでその振動に気付いた者は、私だけだった。
(左)強羅駅前 (右)
箱根強羅公園
(左)大涌谷遠景 (右)名物・黒卵を貪り喰らう人間ども
「引き返して宮ノ下に下車。宮ノ下、堂ヶ島ともやはり国道に面してうるさい。宿屋は四、五軒と少く、大型高級宿ばかりで外人客が多いという。そのせいか骨董屋が二、三軒目についた。」
高台の駅から坂を下ると、またあの賑やかな国道に出くわす。宮ノ下は相当栄えているようで、道路を渡ることさえ躊躇する交通量である。すぐに、町を見下ろすように聳え立つ天守閣のような建物が目に入ってきた。これが箱根を代表する宿泊施設、「文化財級という豪壮な富士屋ホテル」であった。
創業明治11年の「登録有形文化財」
富士屋ホテル
(左)デーンさ (右)骨董屋がカフェよりも多い町・宮ノ下
近くに目ぼしい観光スポットもなく、このホテルが宮ノ下の主たる観光資源になっているようで、大型バスが頻繁に乗り入れる。見ると、やはり客層は中年女性がほとんどだった。一行は入口で記念写真をとると、旅館内で高価なランチを楽しみ、お土産に名物のカレーを買ってそそくさと帰っていった。
何しろ一泊2万円から(!)である。とても泊まることは出来ないが、いい機会なので、さも宿泊客のような顔をしてウロウロと見て廻ることにした。
社寺造りの外観から、案の定一転して館内は
客に外人が多かったのは事実
クラシックな洋風の造りであった。壁には宿泊した要人の写真が飾られていた。ジョン・レノン一家、ヘレン・ケラー、アイゼンハワー、チャップリン、蒋介石、昭和天皇、美智子皇后など、まさに世界中の“ブイ・アイ・ピー”たちが一堂に会す。高そうな家具に高そうなインテリアに高そうな朱塗りの竜に高そうな、おまけにフロントマンがヤメリカ人であった!
いくら頑張っても馴染みようのない赤ジュータンを後にして、「富士屋ホテルのすぐ横のパン屋で食パンを一斤買った」。このパン屋「PICOT」も富士屋ホテルが経営しているらしく、宿泊客や観光客が列を成していた。観光地に行列のできるパン屋があっても何ら疑いを持てぬご時世だが、入口にドアマンがいるとなると話は別である。パンを持つ手がどんどんセレブになっていく。
食パン一斤は「PICOT」の名物だという。357円也
つげ一家は食パンを食べに谷間へと降りたが、そのとき「さんざん降り口を探し回っ」たと記述にはある。しかし、富士屋ホテルの対面には谷間へと続く長い坂道があって、おそらく古くからある道だろうから、これはつげの演出と考えていいだろう。腹立たしげに「谷間へもたやすく降りることができない」と書いているのは、たやすく歩き渡ることすらままならない忌まわしき国道と呼応しているのではないか。
坂道は
大和屋ホテル
の入口でもあった。観光地図によれば、この道から川沿いに「堂ヶ島遊歩道」が伸びているはずだが、一向に「遊歩道」が現れない。旅館の脇を通り、ゴミ捨て場を抜け、やっと川に出たと思ったら「私有地につきこの先立ち入り禁止」の札が立っていた。
遊歩道は谷沿いに続き、ようやく遊歩道らしくなるのだが、つまり私が通ってきた道も「遊歩道」だったわけである。
これは面白い。つげ風に言えば「リアリズム過ぎる」場所であり、周囲との格差から「リアリズム(生活の臭い)」が強く漂ってくる。がっかりするどころか、一気にテンションが上がった。
渓谷へ降りる道
私設ロープウェイ
富士屋ホテルの華美な建物を見てきた後だからか、ホテルの建物もいかにも寂れているように見えた。崖が迫った裏手にはトタン屋根の小さな建物が立ち並び、その間を這う路地のように狭い道は、谷底ならではの閉塞感を湛え、観光地に生活者の存在を見せつけていた。
交渉次第では4000円で泊まれると踏み、ようやく今夜の宿が決まったと喜んだのも束の間、何と一泊壱万云千円からだと言う。なるほど、「やはり貧乏人の来る所ではない」とはこういうことか。もちろん泊まる気になど全くなれず、しかし、どうやら川辺にも降りれないようで、諦めて駅の方へと引き返した。
渓谷の谷底
最後に、「降りた谷は、旅館からの排水でひどく汚れていた」のかどうかについて書くと、私はつげの記述から重油だらけのドス黒い水を思い浮かべていたが、その思い込みを差し引いても、「ひどく」と言うほどには汚れていなかった。しかし、確実に汚れてはいるように映った。
それが水質汚濁なのか、行楽地の落ち着きのなさ、行き場のなさに辟易した私の心情的な問題なのか、今となってはわからない。ただ、燃えるような紅葉をもってしても隠し切れない、どん詰まった谷底のリアリズムは捨てがたいものであったし、宿泊料が高いと聞いただけで、私はそれにはっきりと興味を失った。
つげはもっと豊かだし、
つげはもっと優しい。
何故かそんなことを口走って、混雑した電車に乗り込んだ。色づく山々を見て、じき冬が来る予感がした。特に意味はなかった。
紅葉狩りというより忍者狩りである
(特に意味はない)
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