さらに改築して真新しい駅舎を背に、100メートルほどの商店街があるが、人気はなく、閑散としていた。ただ、南国調のムードからか、気が滅入ったり、寂しい感じはなかった。
つげは駅前から、「小説に書かれた道順をたどりながら「房州屋」らしき宿を探しに海辺の方へ」歩いていく。「房州屋」とは「ふっつ・とみうら」で二人が投宿した海辺の旅館である。「房州屋」への道のりは、以下のようであった。
「駅前通りがバスも通行している、路幅も可成広い、路面も粗末ながら舗装してある、街道へ出」ると、「右手の方に曲がり、昔ながらのくろずんだ瓦屋根、今風にコンクリートで外側囲んだ小売店等、雑然と並ぶ通りの隅を、ぶらぶら歩いて行」き、「駅から、二十分以上やってき、短かな橋にかかる少し手前」に「房州屋旅館」を見つけた。
この「街道」が、海に沿って走る国道127号であるのは間違いない。つげは、そして川崎も国道を北上した。さすがに開発が進み、歩けども家が尽きることはなかったが、並というほどの群れは為さず、「右へ行くと、すぐ町外れ」であった。つげは「その辺から崖下の海を見ると、小さな入り江と小さな漁港が見えた」と書いている。が、小高い場所を走る国道も、視界を建物や木々に遮られ、漁港は見えなかった。
確かに駅の方面から国道を歩くと、200メートルほどで小さな橋を渡る。「短かな橋にかかる少し手前」という川崎の記述に当てはまり、つげは房州屋を既に通り越したと思ったのかもしれない。だから、富浦小学校の脇で左折し、坂を下った。
しかし、漁港を過ぎてさらに国道を300メートルほど行くと、再び富浦湾へと注ぐ川がある。そして「ふっつ・とみうら」の記述を読むと、どうやら二本目の川の手前にこそ「房州屋」はある(あった)ようなのである。
身体が衰え、「食物の不消化から、発散するに相違ない放屁」に悩まされていた主人公は、「歩いて消化不足を補おうと云ういつもの算段で」旅館の周りをひと歩きする。放屁しながら足早に夜の街を歩く姿は情けなく、寂寞として素晴らしいが、それはともかく、そのシーンでもさらに徘徊の道筋が仔細に書かれ、「駅へ行く通りと、T字型にぶつかるあたりも過ぎて、街道は心持ちだらだら坂の勾配となり、店屋は切れぎれとなって、白ペンキ塗りの小さな旅館や、小学校の建物等、夜目にそれとみえ」とあるのだ。しかも、「駅から、二十分以上」かかる距離と言えばこの付近になるはずである。
「房州屋」は「街道筋の旅籠屋が、近年まわりの見てくれだけ、手ッ取り早く洋式に改造したみたいな家造り」だったという。文学散歩途中に、作中に詳しく登場した宿に泊まりたいと思うのは当然である。しかも旅籠に「悪い気はしない」つげであるから、なおさらだと思っていた。結局、つげは「別に「房州屋」にこだわっているわけではない」としてあっさり探索を諦めるが、これは見つからなかった故の誤魔化しではなくて、本心だったのか。
諦めて漁港に続く「だらだら坂」(!)を下る。ふと坂道を振り返り、小説の一文を思い出した。「坂を登り切れば、左手はすぐ海で、突堤に抱かれた玩具のような海が、ほのかに見下ろされ、その先端に立つ、灯台のあかりが、ぽつンと赤く、ひときわ鮮やかに浮かんでいた」。そういえば、つげは「小さな入り江と小さな漁港が見えた」と書いていた。もしかしたら、もしかしたのかもしれない。
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さて、つげが家族旅行で大原を訪れたのは82年10月のことである。それから25年が経過したが、漁港はほとんど変わっていない。
コンクリートは少し古惚けて、ガードレールも擬木製に取って代わられたが、依然「人影もない静かな漁港で」「清潔そうだった」。つげの写真右隅に写っている釣具屋は、すぐ傍に新しい店舗を構えていた。釣り客の姿は見えず、猫が欠伸をした。長閑であった。
写真奥に見えるのが逢島(おうしま)である。昔は恋人たちが「逢瀬を楽しむ島」だったのが、関東大震災による隆起で陸続きになったという。大正時代には映画『島の女』も撮影された地元一押しの観光スポットだが、私はその |
映画を観たことがなかった。『島の女』というからには逢島が女の根城なのだろう。こんなに小さな、胸を張って島とも言えぬ島でロケを済ませるとは、低予算な映画だなアと思ったが、たとえば『裸の島』のようなものでも、撮りようによっては無理に遠方の離島を舞台に据える必要もないのかもしれない。乞食に成り果てた村の娘が主人公かと空想する。
富浦湾には二つの海水浴場があって、夏場は混雑するのだろう。民宿や旅館の数は多く、つげが記した旅館はみな健在であった(そのほとんどが電気も消え、夏場のみ営業しているようだった)。
「『逢島館』は是非とも泊まってみたい感じの良い宿だが八千円と高く、百メートルほど離れたところにある『竹乃屋』『富浦館』も七千円もするので、さらに二百メートルほど入江の奥の方へ行ってみると『曳舟』という民宿があった」。

左が竹の屋、右が富浦館。富浦館こそが・・・。


つげが泊まった民宿・
曳舟は、1泊2食で6500円、朝食のみで3800円と安い。JRに金を吸い取られた今の私でも、この価格なら安心して泊まることができる。静かな湾を見下ろしながら、「あとから民宿料金以上を請求されるかと思うほど豪華」な料理を食べるとは、なんと贅沢なことか。普段は交通費のために犠牲にされる宿泊と食事だが、たまにはこういう巡礼があってもいいだろう。
そこで財布を開くと残金は金参千円也。うハッ。
私も曳船に泊まって、この文章の締めをファンサービスで艶やかに飾りたかった。翌日、「昨日来た道を駅のほうへ行」き、「小さな魚屋」でカンパチの値を知りたかった。
しかし、それは主に経済的な理由から叶わなかったし、叶わなかったがために受けたショックは大きく、巡礼最大の原則「見つかるまで見つける」を貫けなかった私に、魚屋が発見できるはずもなかった。結局、今回の巡礼では、砂浜の焚火も、海苔の養殖も、「東京湾に出入りする船が停止しているようにゆっくり動いている」のも見ることができなかった。
私にはアジの干物も買えない。そう思うと、本来居るべき場所から離れ、独り佇んでいる恐怖がどっと押し寄せてきた。帰ろう。東京に帰ろう。いつの間にか空模様まで怪しくなって、心細い想いで、急いで駅に向かった。
商店街に残る古い店屋
ホームには既に上り電車が着いていた。慌てて飛び乗った車内はガラガラで、車両に常客は私ひとりだった。巡礼精神が最後に崩れたことは悔やまれたが、カンパチの値段ぐらいネットで調べられるだろう。一息ついて座席に腰掛けると、グチャッと何かが潰れる音がした。リュックのなかで枇杷が四つ、歪な形になって汁を撒き散らしていた。
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