2004年
 8月 8日 プロローグ
 8月 9日 
第壱夜 とりあえず始めてみよう
10月12日 
第弐夜 僕たちは何だかすべて忘れてしまうね
11月 6日 特別夜 つげ読む者の孤独(ちらしは
こちら
11月12日 
第参夜 悲しいけどコレ、芸術なのよね
12月12日 
第四夜 長いことにくよくよするな!

 

2005年

まさかの「ねとらじ」上陸・・・?

 

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プロローグ

 

「チャットしようぜ」

ある日、ユゴーがそんなことを言い出した。それは小雨の降る、ジメジメした最悪の一日だった。部屋中に吊るされた洗濯物からは微かにカビの匂いがしたし、風邪気味で鼻水が止まらず、気分は最悪だった。

 

「いいけど、何を話そうか」

とっくに政治の季節は過ぎていた。『もはや戦後ではない』こともない時期すら過ぎていた。二人とも趣味が音楽で共通していたが、かたやジャズ、かたやフォークと、一向に交わる気配がなかった。二人にはもう、本の話をするより他にネタがなかったのだ。

 

 

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第壱夜

とりあえず始めてみよう

 

ユゴー の発言 :

お久しぶりです金イくん。青臭さフルスロットルで激論していく、「真剣60代・過激派」ならぬ放談会のお時間なわけですが、こうやってWebで話すのは3ヶ月ぶりになるのかな?以前は別のサイトでよくやっていたんですけど、かなり久しぶりで。なんか最近は徹夜読書してるって聞いたけど。

 

金イ國許 の発言 :

お久しぶりです。まあ、あれだけ「馬鹿」「馬鹿」言われると読まなきゃいけなくなりますよね、意地でも(笑)。この放談を心底馬鹿にしながらほくそえんでいる姿が眼に浮かぶようです(笑)。でも、ほとんど本を読まないで生きてきたので、近頃『文学トーク』ができるようになって嬉しくて嬉しくて(笑)、だから恥ずかしながらもこのページをつくっちゃいました。で、そっちはどうなの?何か読んだ?いいのあった?

 

ユゴー の発言 :

いいかどうかは別として、高橋源一朗の「さようなら、ギャングたち」を読みました。

 

金イ國許 の発言 :

「さようなら、ギャングたち」は僕も読んだ。もう昔の本だけど、評判も高いし、「凄い」と思ったんだけど、やっぱり評価しかねる、っていうのが素直なところかな。正直わからないんだよね。ユゴーはどうなの?

 

ユゴー の発言 :

イメージで語ってしまって悪いんだけど、クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を読んだ後の読後感とかぶるんです。方々でクンデラクンデラ言い過ぎて、それしか読んでないようで嫌なんだけど、事実かもしれない(笑)。クンデラは色々な見せ方を示してくれたけど、なんか作者が見えないっていうか。感情としてはその喪失感とか共感できる部分がたくさんあるんだけど理性の部分にはあまり訴えかけてこない。そこがつげさんと違うところですかね。

 

金イ國許 の発言 :

うーん、僕はその言い方自体良く分からない。普通「理性ではわかっても感情ではわからない」場合が多いんじゃない?

 

ユゴー の発言 :

たとえば、クンデラのは確かに一度出て行ってしまった女を追いかけて、チェコに戻ったけど、そこであんまりに事がきれいに運んでしまうのも手伝って、その日の内に後悔してしまう。それは、読んでて共感できるんです。ただ、それに対する、クンデラ自身の考察や考えは伝わってこない。

 

金イ國許 の発言 :

そんなことはないでしょう。むしろあんまり事がきれいに運んでしまうからこその小説なんじゃないの?僕はあの小説からはクンデラの考察なり考えなりが十二分に受け取れると思うけどね。むしろ「こいつ理屈っぽすぎるわ」と思ったくらい(笑)。

 

ユゴー の発言 :

それはどの辺でですか。

 

金イ國許 の発言 :

例えば、この話、話の筋としては単なるラブ・ストーリーじゃない。って言うと反感買いそうだけど、まあ、恋愛ものの定石から外れてるわけではない。にも関わらずあからさまな理屈がストレートに展開される。

 

ユゴー の発言 :

恋愛を道具にって感じだと。

 

金イ國許 の発言 :

いや、全ての小説は何らかのメタファーであると考えれば、恋愛にしろ何にしろ小道具に過ぎないんだけど、その小道具感とでもいうのかな、テーマ性を隠蔽するところの巧さみたいなものを小説の真価だと考えるわけで、だからクンデラのように途中途中で生の思想がグワッと提示されるのには少し違和感を覚えるんですよ。

 

ユゴー の発言 :

それでは見せ方が小説のすべてだと?

 

金イ國許 の発言 :

勿論その反論は当然で、というか「見せ方が小説の全て」なんてアホなことを信じてる奴はいないと思いますけど(笑)、やっぱり完成度っていうのはそういうところにこそ出て来るのかな、と。これは私が「物語ることこそが小説である」という信念を抱いていることを図らずも意味しているのかもしれませんが、小説がその原型的に必ず持っていなければならない「ドラマティック性」というものをどう扱うか、ということがかなり重要なことだと思いますね。・・・で、さっきの高橋源一郎は格好の作品なんで、そのことについてここで考えてみたい。

でも、注意しなければならないのが、前衛の代表的存在のこの作品――当時の評価を詳しく知っているわけではないですが、少なくとも従来の作品観から圧倒的に逸脱しているのは間違いないこの「さようならギャングたち」が私にはそこまで前衛・・・これは私なんかには「意味不明」と同義なんですけど(笑)・・・的作品なのかということなんですよ。つまり、さっき言った「物語性」ということになってくるんですが、「逸脱」「逸脱」言うけれど、反小説的にあろうとしたこうした実験作が逆に物凄く“小説的”であるという矛盾を私は見るんですよね。

 

ユゴー の発言 :

たしかに「物語り」としての印象を強く受ける。

 

金イ國許 の発言 :

このことをもって高橋個人の手法的限界と見るのか、「小説は物語性を内包せざるを得ない」と見るべきなのか。まあ、そんなことを考えたわけなんですが。しゃべりすぎましたね。ユゴーはどう思う?

 

ユゴー の発言 :

でも、小説が物語性を内包しないとすると、それは僕には想像できないというか。事象がいくつかあるということはそれだけで、物語を自動的に形成してしまうわけで、まあ、全体として繋がっているとしても、個々の事象が繋がっていない可能性はあると思いますけど。むしろ、そういう狙いが「さようならギャングたち」のテーマだと思います。

 

金イ國許 の発言 :

じゃあ、こう言い換えてもいい。単純に物語ることから逃れようとすることが文学的実験であるなら、そして論理的に超克・逸脱が不可能だと考えられるならば、それを超えようとすることは徒労であるのか。

 

ユゴー の発言 :

僕には想像が出来ないだけで、超えることが出来ないことが証明できない以上、模索する価値は多分にあるし、突き詰めるという点では高く評価できると思います。いろんな所にまだまだ可能性は感じますけど。ストーリーからの解放。言葉からの解放、音の導入。

 

金イ國許 の発言 :

うーん、君の物言いが論理からくるのか、倫理からくるのかわからないから否定できないけれども(笑)、言葉からの解放というのは?

 

ユゴー の発言 :

字面を追っていくだけじゃない、とか絵とかですね。

 

金イ國許 の発言 :

確かにね。でも、『さようならギャングたち』には漫画が入ってたじゃない。あれは意味があった?

 

ユゴー の発言 :

可能性を示したという点では評価するけど、成功は明らかにしていない。

 

金イ國許 の発言 :

つまりだね、今言ったように我々は実験を「成功した」だとか言うじゃない。それがどういう基準なのか、ということが問題になってくるわけですよ。

 

ユゴー の発言 :

それは・・・・・、長くなりそうですね(笑)。初回から広げすぎのような(笑)。うーん。やっぱり「文脈的に意義が」なんて答えじゃ駄目?

 

金イ國許 の発言 :

駄目(笑)。

 

以下次夜。

 

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第弐夜

僕たちは何だかすべて忘れてしまうね

 

ユゴー の発言 :

お久しぶりです金イくん。あんだけ偉そうに語りかけておきながら、相当間が空いたね。何を話してたのかすっかり忘れてしまったよ。

 

金イ國許 の発言 :

だからこのタイトルなのか。く、くだらねえ(笑)。

いやー、ごめんなさい。でもしょうがないの。雑事雑事でいまやコンプレックスの塊。ホントに色々あったんです。多分映画7・8本は撮れるくらい色々ありました(笑)。

 

ユゴー の発言 :

どんだけ波乱万丈だよ(笑)。

「映画7本」といえば、金イくんが大好きな北野武が「頭の中に7本分のプロットを常に用意している。7本切ったら即引退」みたいなこと言ってましたね。

 

金イ國許 の発言 :

そのセリフ、方々で聞くんだけど、いっつも「それにしては大した映画作ってないな」と突っ込んでいます。「BROTHER」でも「Dolls」でも確かにずっと前から構想はあったのかもしれないけど、要するに「こういうのがやりたい!」っていう細部の思いつきだけ持って突っ走った感が否めないし、そもそも彼の頭の中に全体を通してのプロットっていうものは存在しないんじゃないですか?最近作「座頭市」でも、全体を俯瞰する気があったらタップダンスをあんなに唐突に使わないでしょう。このまま行ったら末期の梶原漫画みたいに「やっぱりヤクザがでてきた、あ〜あ」ってなっていくんじゃない?

・・待てよ?既にそうなってるな。うん、確かにそうなっている!

「北野武は梶原一騎である」、この仮説は検証の価値ありかもしれないね!

 

ユゴー の発言 :

好きなんじゃないのかよ(笑)。最初から前回と話がつながりそうにないけど、今回は北野トークにしておこうか。新しい映画出るみたいだし。強引だなあ(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

ありがとう。でも、ユゴーは嫌いなんだよね?

 

ユゴー の発言 :

うん。嫌い。まず、「ビートたけし」が凄かった時代をリアルに体験してないから、お笑い芸人としては全くわかんないし。まさか今TVでみる彼に爆笑ってことはないでしょう?

 

金イ國許 の発言 :

それはさすがにない。ちゃんと痛いと思えてます(笑)。

でも、俳優としての彼は抜群じゃない?

 

ユゴー の発言 :

そうかなあ。嫌いだけどね。ゲキガ調って言うのかな、大竹しのぶばりの演技過剰が鼻につく。

 

金イ國許 の発言 :

大竹しのぶ?勘弁してよ(笑)。テレビシリーズちゃんと見たの?『三億円事件』とか『金の戦争』の演技が大竹しのぶと同じレベルに見えたわけ?

 

ユゴー の発言 :

まあ、あんまり大竹しのぶのこと知らないけどさ、単に「大袈裟だ」って思っただけだったけど。両方とも見たけど、似たような役柄ばっかだなあと思いました。

 

金イ國許 の発言 :

それは、難しい役どころを北野が一手に引き受けているだけだよ。

よく「複雑な心情を見事に表現しきった」なんて賞賛の言葉を聞くけど、本当に「複雑さ」を表現できた役者は北野ぐらいじゃない?陳腐な説明しかできないけど、「愛情と憎悪」とか、相反する感情が一人の人間っていう器に入ったとき、二つはそのままお行儀よく鎮座なさっているわけじゃないんだな、と感心しましたよ。ジキル博士じゃあるまいし、片方が顔を出したときはもう片方はひっこんでるなんて都合よくいくわけがない。TVとか見てると「なんでこんな単純なのかなあ」といつも疑問に思うんだけど、それは題材やテーマの問題だけじゃなくて演じる側にもあるんだね。

北野に与えられる役は確かにパターン化してきた印象を受けるけど、でもドラマになる役柄なんて根本的には変わらないわけでしょう。『秘密』の広末涼子だって北野的役柄ですよ。ちょっと違うかな。・・・・・そうだ、『GO』なんて格好の比較材料ですよ。窪塚は全く演じきれてない。山崎努にしろ大竹しのぶにしろ平板なキャラクターに甘んじている――これはそういう指示なのかもしれないけど――としか思えない。

ここらへんをきちんと説明するのは後にするとして(笑)、北野はなおかつ客が呼べるんですよ。もう非の打ち所がない!同じレベルの役者ってのは『兄弟』で共演したトヨエツぐらいしか思いつかないよ。それでもあの中で一番難しい役を演じたのは武でしょ。「兄さん、頼むから死んでくれ」って言われた方の身にもなってやれよ(笑)。

 

ユゴー の発言 :

でも、さっき北野映画を否定してたじゃない。

 

金イ國許 の発言 :

映画監督としての力量と俳優としての力量はまったく別でしょ。もちろん僕は映画を撮ったことがないから内部事情みたいなところについての知識は全くないけど、「俯瞰する」っていう姿勢は当然のことでしょう。全体を通していかに矛盾を少なくするか、っていうのは基本なんじゃないのかな。

 

ユゴー の発言 :

『座頭市』にしても矛盾はないと思うけど。

 

金イ國許 の発言 :

論理的な矛盾があったら逆に面白すぎるよ(笑)。そういうことじゃなくてさ、例えば悲しみに暮れてた奴の話だったのがコメディタッチで描いていたらいつの間にか幸せ一杯になってた、みたいな矛盾だよ。だからタップダンスにもある種の悲しみが秘められてないといけない(笑)。今笑ったでしょ?タップダンスに悲しみを込めるのは至難の業だと僕も思うから、それが無理ならいれるべきじゃなかった。

 

ユゴー の発言 :

そういう矛盾も、それはそれでありなんじゃないかとの思うけど、北野武にはそういう矛盾があると。

 

金イ國許 の発言 :

いや、・・・・詳しく考えたわけじゃないんだけど、とにかくあれは良くない作品です。要するに名作ではないってことを言いたかっただけなんで(笑)。

 

ユゴー の発言 :

名作だなんて誰か言ってるの?日本映画史が北野以前以後で分かれる、っていうのも『ユリイカ』でそう言われただけだと思います。ただ、北野作品は賞を獲ってるから反論しにくいだけ。

そういえば、さっき「細部の思いつきだけ持って突っ走った」って言ってたけど、あれは金イ君が映画評で書いていた「シーン帰納的」っていうのと同じこと?

 

金イ國許 の発言 :

うん。こういうシーンが撮りたいとか、このセリフを言わせたいとか、そういうことだけで作っちゃった映画のこと。そういう実験が悪いとは思わないけど、極論すればそのシーン以外はいらないわけだから、だとすると「ヨケイナモノ」をたくさん抱えた作品は、作品としての質が落ちるよね。

 

ユゴー の発言 :

え、『リアリズムの宿』もそうだって言ってるの?

 

金イ國許 の発言 :

いや、そう見られても仕方ない部分があるんじゃないかと言っている。

 

ユゴー の発言 :

濁すねぇ(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

濁しますよ(笑)。

冗談はともかく、やっぱり「全体との連関」なんて厨房発言を恥ずかしげもなく繰り返しているのは、僕がそこに死ぬほど重きを置いているからなんです。誰にでも言える指摘だということくらいは自覚している。でも、現実にそれを体現できている作品っていうのはほとんど見ないわけです。このことから、難しいんだねやっぱり芸術家はスゴイね大変ねと納得することもできる。「タイトルが内容をよく表している」なんて理由で芥川賞をあげちゃったりするわけだしね。でも、そこはクリアできる部分であり、クリアしなきゃ駄目なとこだと思うんですよ。

やっぱり、作品に立ち向かう武器に言葉しか持たない虚弱な僕らとしては・・・・今のカッコいい表現だな(笑)・・・・、頭で作品を受け取ってしまうわけで、それはある程度しかたないことなんじゃないかなと思う。だから、一番理屈でクリアできるようなところをクリアしないであれこれやられても、粗ばかり目立ってしまうのは当然でしょう。そのことに無頓着なまま「感性だ」みたいなことを平然と言いのけちゃうのは、理想的な作家態度だとは絶対に思えない。

 

ユゴー の発言 :

粗あってこそ、粗があること自体が味なんだと言う人もいますけど。

 

金イ國許 の発言 :

少なくともそれは意図されたものではないでしょう。意図された上で展開されないと、その作品単体としてはいいのかもしれないけど(よくないけど)、その後に続く段階でも「粗」が「粗」のまま残ってしまう。作品の深化ってことを考えたら、方法論に自覚的な作家しか先はないと思います。

 

ユゴー の発言 :

偉そうに(笑)。でも、少なくとも作者の側は「作品に立ち向かう武器に言葉しか持たない虚弱な僕ら」を対象にしなくちゃいけないってことはわかっているんだから、そういう面でもフォローが必要なのかな。だけど、そうすると横でどれだけ喋れるかが作品の良し悪しになってくる。これは・・・・まずいよ(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

「頭でっかちが体ごと大きくなればそれにこしたことはない」。これが持論かつ結論なんですけど、これで終わっちゃさすがにまずいか(笑)。

 

ユゴー の発言 :

放談会なんだから、疑問点を見つけただけでとりあえず良しとしましょう(笑)。詳しいことは後述することにして、別の機会に譲ればいいじゃないですか(笑)。

 

以下次夜。

 

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第参夜

悲しいけどコレ芸術なのよね

 

金イ國許 の発言 :

前回は北野映画について語っているようで、その実何を語っているのか分からない話をしたね。一応テーマらしきものを拾ってみると、「作家にとって理論とは何か」ってことになるのかな。理論無き作家は駄目だ、というのが僕の結論でした。

名作を作るには作家の素養みたいなものが豊熟して、我々一般を言葉の上でも納得させられるような「理論」にならないと駄目なんじゃないか。こんなカゲキなことを言ったんですね。当然「じゃあ口下手な作家はどうすんだよ、筆不精なシンガーは死ねって言うのかよ」っていう反論を誘発するためにカゲキを装った(?)わけですから、きちんと説明しなければならない。それが今回の課題です。

そこで、唐突なんだけど、けっこう前に『天才エリちゃん金魚を食べた』って本があったじゃない。6歳の幼稚園児が本書いたってことで話題になって、かなり売れたはずです。福島賞とかいうSFの賞を獲ったんじゃなかったかな。とにかく当時、この作品が「エンターテイメントなのか文学なのか」みたいな奇妙な論争が起こったんだよ。著者の竹下龍之介くんは「くもん」出身で、結構な計算能力を誇っていたらしいんだけど、一説には国語が不得意だとか(笑)。

 

ユゴー の発言 :

気持ち悪いほど詳しいね(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

いや、一時期「くもん」で教えてたことがあったから。

 

ユゴー の発言 :

天才少年を?

 

金イ國許 の発言 :

違うよ!大体彼はもういい年なはずだよ!

「くもん」に本が置いてあって先生たちが教えてくれただけだよ!

 

ユゴー の発言 :

返しが爆笑問題ぽくて嫌だなあ。

 

金イ國許 の発言 :

で、この間『戦後「翻訳」風雲録』って本を読んでたら彼の本とその論争のことが出てきたんですよ。ナントカさんが「六歳児の書いたものが文学なわけねえだろゴラァ」ってブチ切れたという話があったんです。ナントカさんは結局SFクラブみたいなところから除名されちゃったんだけど、とりあえずその発言には度肝を抜かれました。大人気ないとはまさにこのことと言うか、なんだか物凄い意見ですよね(笑)。筆者の宮田昇さんはこの発言について別にどうこう言っているわけではないんだけど、かすかに否定的だったのかな。

詳しい内容はナントカさんの著述に当たってないから知らないんだけど、論争の火種を振りまくような誤解を恐れない発言は珍しいと思う。論壇みたいに利害が渦巻いていない一般世界でもこうしたある意味選抜的な、差別的な発言はあんまり表立って出来ないよね。それは平穏を好む日本人気質のせいでもあるんだろうけど、「芸術は感性」だっていう風潮がこの国ではとても強いからね。

 

ユゴー の発言 :

金イ君本州から出たことないじゃん。

 

金イ國許 の発言 :

うるさいよ!・・・・とにかく、我々素人の間でこういう≪芸術感性論≫が根強いのは事実だよね。作品に対する評価が「わからない」っていうのは全然アリだと思うんだけど、そこから「やっぱり感性なのよね」って結論付けるはおかしい。

「わからない」っていう意見にも色々あって、「作品で重要なのは感性だ→作品の核は感性だ、一番評価するべきなのは感性だ→感性というものは人それぞれだ→他人のことは分からない」って流れで出てきた「わからない」は明らかに駄目でしょう。つまり向上する気がない。そこに「わかりたい」っていう気持ちがない人に何を言っても無駄なんだけど、そういう奴に限って「感性=曖昧=適当=ざっくばらん=メディア露出=なんでも鑑定団」と、こうなるわけです。

で、作品の核が感性だとしても、それを伝える術ってものは結局言葉が負う部分もかなり大きいんじゃないのかな、っていうのが意見なんですよ。

 

ユゴー の発言 :

それは勿論、「伝える術が絵筆であり、鍵盤なんだよ」って反論を念頭に置いてるんだよね?

 

金イ國許 の発言 :

うん?どうだろう・・・・、私が作品の魅力を理屈で説明つけたいと本気(マジ)で願っているのは確かですけどね。そこには安心したいっていう欲求とか、芸術的素養のない人間が理屈つかないとこにイライラしている面もあるんだろうけど、言語化する作業にある程度の地位を与えないと「作品に立ち向かう武器に言葉しか持たない虚弱な僕ら」としてはやるせないからね。

 

ユゴー の発言 :

それは勿論、「人間は作品に立ち向かう武器として言葉の他に五感を持ってるよね」って反論を念頭に置いてるんだよね?

 

金イ國許 の発言 :

うん。鼻や耳が許されるように、言語も武器として許されているわけだからね。

まあ、ぶっちゃけた話、結局知識人が芸術作品の査定を行っているのは間違いないし、それに付和雷同して作品の価値が出来上がっているのは事実なんだから、それだけ見ても、この世の中は全て理屈で出来ているってことになるよね(笑)。「世の中理屈だ」っていう私の意見は、「感性が人それぞれで他人同士一致することが無理→だからこそ語り合うべきは理屈なんじゃないか」なんてことを今更言いたいんじゃなくて、「そんなん大前提であって、凄い作家は大抵隅々にまで魂込めているよね、それは言語化される類のものなんだ」ってことを確認したかったわけです。当たり前のようだけど、結構こういう好意的な(?)見方をすることに反撥する人も多いんだよね。

 

ユゴー の発言 :

深読みだと。

 

金イ國許 の発言 :

そうそう。だから背景の一部から反戦思想を読み取ろうとマルクスが出てこようと、この段階で方法論的な間違いを指摘するのは早すぎるわけですよ。

ちょっと話がずれたから戻すけど、「六歳児の書いたものが文学たりうるのか」っていう問題について、ユゴーはどう考える?

 

ユゴー の発言 :

読んでないからその本については言えないけど、一般的に言えば、年齢と作品の質は関係ないよね。多分こんな普通の意見求められてないんだろうけど(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

わかってんじゃん(笑)。でも、6歳児だよ?「6歳児に何がわかる」っていう気持ちは常識人としてはあるでしょう。

 

ユゴー の発言 :

いやもう全然ないですよ。そもそも年齢が関係するなんてことを考えたことが、呆れるほどに、ない。むしろ通念に捕われちゃった金イくんの不自由さに同情します。それじゃあ、「戦争に行った人しか戦争映画は撮れないの?」ってことになる。

 

金イ國許 の発言 :

『リアリズムの宿』だ。じゃあ「女と付き合ったことのない奴がいい恋愛映画撮れる」?

 

ユゴー の発言 :

極論だよ。「女の子と付き合う」っていうのと「戦争」っていう極限状態では状況にあまりに差がありすぎて、比べられない。だいたい、君の意見だとSFを完全に否定することになるよ。

 

金イ國許 の発言 :

生来のSF嫌いなので、何とも反論しように困るけど、状況の差っていうのはつまり想像力の問題なわけでしょ。てことは極限状態を描くのは戦争体験がないと厳しいんじゃないの?村上龍じゃないけど「海の向こうで」って描き方しかできないんじゃないか。少なくとも、我々「戦争を知らない子供たちを知らない世代」が抱いている戦争イメージにはリアルな戦場っていう前提がないわけで、戦争もの――『プライベート・ライアン』だとか『スターリングラード』だとかみたいな映画の、切った張ったの生々しさを売りにするには実際に戦場に行ってないときびしいんじゃないかな。あれが戦争を描き切ったとは露ほども思わないけどね。

 

ユゴー の発言 :

そりゃ、行ってた方がいいのはそうだけどさ。

 

金イ國許 の発言 :

でもね、ドキュメンタリの森達也監督も言ってたことなんだけど、戦場に行くってことの麻痺と我々が情報として獲得した戦争が持つ麻痺を一緒にしちゃいけない。つまり、アメリカ軍の兵士とかでも、ドラッグなりヒロポンなりを打たないと戦場で相手を殺せないみたいな統計が出ているんだって。やっぱり戦場ってところには麻痺しないと行けないらしい。

 

ユゴー の発言 :

特攻隊員も打っていたという話は聞くよね。

 

金イ國許 の発言 :

うん。で、戦場がそこで戦う兵士たちにもたらす麻痺がCNNとかライブ映像として世界に配信されて、戦場に行ったことのない我々にも及んでくると。森監督はこの二つの麻痺がそっくりなんだけど、本質的には異なったものなんだ、と言ってるんだよ。

 

ユゴー の発言 :

・・・ちょっと待って。話がずれて行き過ぎるよ。この問題は金イ君の世界理屈論をきちんと聞いてからにしよう。長くなるだろうし。コーヒーブレイクしよう(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

そういえば、全然関係ないんだけど、「SPA!」で批評特集が組まれてたんだよ。

 

ユゴー の発言 :

なんだこの棚上げ対談は(笑)。はいはい、それで?

 

金イ國許 の発言 :

Web上にある様々なジャンルの批評についてコメントしてたんだけど、やっぱり一番多いのが書評とか映画評なんだって。で、映画評についてSPA!が言うには「演技について云々しすぎるのはよくない。全体が見えてない証拠だから」って書いてあって、「余計なお世話だボケ」と思ったんだけど、演技評ばっかりでいいと思うんだよね。

 

ユゴー の発言 :

なんで?あれほど「全体との連関だ」って言ってたじゃない。

 

金イ國許 の発言 :

だって結局映画なんてものは贔屓の俳優がでてたら納得するもんだろ?宮崎あおいの出世作『害虫』なんて映画的には全然よくないけど、あれはあれで最高に良かったぜ(笑)。

 

ユゴー の発言 :

酷いなあ(笑)。それじゃあ芸術レベルが低いって言われちゃうよ(笑)。

個人の好き嫌いを超越したところに作品の真価がある。

 

金イ國許 の発言 :

まあ、言いすぎたけどさ、実感としてそういうのがあるんだよね。古いのは知らないけど、近年の日本映画ではそう言えちゃうんじゃないのかな。

何か一時期滅茶苦茶映画を見たことあったんですよ。新たな人格が生まれそうなほど見まくった時期があって、実際スタンド生まれかけたんだけどね、とにかく色々サブカルっぽいのも齧ってみて、「うわあやべえよこれやべえよ」っていうのはほとんど無かったわけ。それは僕の選び方が駄目だったのかもしれないけど、月40本見て駄目だったら結構もう「映画」っていう表現方法自体を疑ってしまうのはしょうがないよね。で、僕は映画不信に陥って、もう「映画ってのは女優のイメージビデオだ」と思うことにしてる(笑)。

結局さ、画面の隅々にまで意味を込めるというか、緊張を張り巡らすだとか、そんな作品なんて全然なくて、そのよっぽど前の段階で問題ありの作品が多すぎるよね。「映画化する前にもちっと考えろよ」と思う作品がかなりある。

 

ユゴー の発言 :

売れてんのばっか見たんじゃないの?

 

金イ國許 の発言 :

確かにレンタルビデオで見たのも多かったからそうなのかもしれないけど、馬鹿売れ作品ばかり見たわけじゃないし。そもそも一応評価の高い監督の作品とかを見たわけで、今はかなりマニアックなのもDVD化されているから、ここで「それは駄目なんだよ××を見なきゃ」なんて言われても、それこそ困っちゃう。だから、あくまで僕が見た範囲の話だけど、大体が演技を誉めないでどこを誉めろっていうんだ(笑)。商業映画は駄目なのかなあ、とも思うけど、『ジョゼと虎と魚たち』しかりかなりイイのも一方であるわけでしょう。

 

ユゴー の発言 :

『ジョゼ虎』はよかったねえ!これは是非語り合いたい作品だね。妻夫木くんの映画で唯一いい作品じゃない?

 

金イ國許 の発言 :

『さよならクロ』なんて船戸与一じゃないけど「これが商業レベルで流布してるのが信じがたい」作品だったからねえ・・・。何だか滅茶苦茶な対談になってきたけど、全ては10回を超えたあたりで結びつく伏線ということにして(笑)。

 

ユゴー の発言 :

いいじゃない、ダラダラいきましょう。他にいいのあった?

 

金イ國許 の発言 :

「夏に似た夜」が良かったねえ。山下監督の昔の短編。今ああいうのまでレンタルできるんだもんね。白黒で、俳優に監督が声を当ててるんだけど、これがかなり面白い。ウンコが出てきてテツガク的だと思ったのはこれが初めてだよ(笑)。山本浩司さんが「監督は僕より演技が上手い」みたいなこと言ってたけど、本当に巧いかも(笑)。あれは先につながる映画だなあ、ああ、こういう監督だったら『リアリズムの宿』任せるよなあ、って思いました。

 

ユゴー の発言 :

それ映画評へのフォロー?(笑)

 

金イ國許 の発言 :

ちがいますよ(笑)。方向性としてさ、延長上に凄いものが想い描ける作品てあるじゃん。つげ義春しかり。分かる?

 

ユゴー の発言 :

分かる分かる。その方向性というのは単純に商業主義がどうこうではなくて、何て言うんだろう、陳腐なことしかいえないけど、突き詰めていくべき要素がきちんとあるというか。実験を行うための土台作りをしようという意思が見られるというか。

 

金イ國許 の発言 :

いつの日にか巧く言語化できるといいですね(笑)。

 

以下次夜。

 

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第四夜

長いことにくよくよするな!

(サンマーク風)

 

ユゴー の発言 :

ちは。

 

金イ國許 の発言 :

どうもどうも。

 

ユゴー の発言 :

最近は世の中物騒なことが続いていますけど。

 

金イ國許 の発言 :

連れ去ったり連れ去られたり、大変な時代になりましたね。この間、鉄アレイで鍛えてたら、両親が怯えてるんですよ。殺されるんじゃないかと。

 

ユゴー の発言 :

奇遇ですね、最近僕も引きこもっているんで、親に心配されてるんですよ。

 

金イ國許 の発言 :

そりゃ屈折した親孝行ですね。

 

ユゴー の発言 :

なんで引きこもっているのかというと、矢作俊彦の「あじゃぱん」が読み終わらないんですよ。

 

金イ國許 の発言 :

こういう入り方すると、また「自作自演だろ」っていうメールがきちゃうんだけど(笑)。

「あじゃぱん」は長かった・・・かな?

 

ユゴー の発言 :

長いよ。750ページもあるし、何より会話の中も説明だから読みづらい。

 

金イ國許 の発言 :

たしか現代史のパロディーだったよね。

 

ユゴー の発言 :

日本がドイツみたいに東西分離してるっていう設定なんだけど、なかなか話が進んでくれなくて・・・。長編はある程度テンポがよくないと僕なんかきついですね。

 

金イ國許 の発言 :

長編って言ってもなあ、たかだか750ページでしょ・・・・って言ってみたい(笑)。

でも、「失われた時をもとめて」「ユリシーズ」「戦争と平和」「大菩薩峠」等々、ゴッツイのはいくらでもあるでしょう。それに比べたらわりと軽量じゃない?

 

ユゴー の発言 :

まあ、それはそうなんだけどね。プルーストは読んだってだけで本書いちゃう人もいるくらいですから、それに比べれば全然読みやすいんだろうけど。でもさ、ゴッツイ本って、研究者以外できちんと読んでる人いるんですかね?金イくんは?そもそも最近ゴッツイの読んだ?

 

金イ國許 の発言 :

ちょうど今ね、「アンナ・カレーニナ」読み終えたところ。残念ながら、今年読んだ中では断然ゴッツイ方です。

 

ユゴー の発言 :

あれ、前に読んだって言ってなかった?

 

金イ國許 の発言 :

うん。何回読んでも楽しませるね、トルストイは(笑)。なんかこう、読んでると、凄く贅沢な時間を送ってる気がする。なにしろロシア文学は「読書」っていう言葉に最も高尚な響きを与えるからね(笑)。

 

ユゴー の発言 :

長い読書ってみんなどうなのかな?いつ、どこで読むんだろ?

 

金イ國許 の発言 :

寝食忘れて一気読み・・・と言いたいところだけど、そうもいかないから毎日少しずつ読んできます。空き時間にどこでも読むんだけど、電車の中で読んでると、周りから完全に浮いちゃう(笑)。

 

ユゴー の発言 :

車内で集中できますか?

 

金イ國許 の発言

朝八時の満員電車の中で、きちんと鴫狩りしてましたよ(笑)。

 

ユゴー の発言 :

「三角食べ」とかってします?

 

金イ國許 の発言 :

「三角食べ」?ああ、何冊も同時進行で読むってことか。お堅い本だとか、ノンフィクションと小説を組み合わせることはあるけど、こんがらがるから小説同士のカップリングは嫌いだけどね・・・ってインタビューかよ(笑)。君はするの?

 

ユゴー の発言 :

「三角食べ」ばっかりよ。読みきらないとなんか挫折感を感じるから、他のに手を出して自分を慰めてるんよ。

 

金イ國許 の発言 :

はははは!そんなにクソなのばっかりなの?

 

ユゴー の発言 :

クソかどうかは読み切ってないから何とも言えないけど、うん、そういうところがむかつくんだけど(笑)、天童荒太の「永遠の仔」は投げ出した。冒頭に興味深い過去の話が出てくるんだけど、200ページ読んだ時点で「まだこんなにある」って思ったら、読む気が無くなった。だから反則技なんだけど、800ページに飛んでみたら、何としてでも解きたい謎ってわけでもなさそうだったのに、その謎でスゲーひっぱってんだもの。

 

金イ國許 の発言 :

ははは、時代遅れなもん読んでるね!トラウマ系最盛期の小説だね。

 

ユゴー の発言 :

保坂和志も拷問のようにきつかったなあ(笑)。だらだらと長く書いて、何も起こらないの。別にドラマチックじゃなきゃいけないとは思わないけど、結局青春ストーリー地味てるというか、事件を求めてるような気がしてね。不思議なのは、それでも読み終わった後には何か清々しさを感じるところなんだけど(笑)。最近投げ出したのは車谷長吉です(笑)。自己憐憫が鼻につく、ただそれだけの話なんだけどね。

 

金イ國許 の発言 :

「赤目四十八瀧」は「値打ち」も高いじゃない。

 

ユゴー の発言 :

うん、あれは読みきったんだけどね。でも、そこまでいいとは思わなかった。ハードボイルド小説を読まされてる気分がして、「猿岩石日記」よりは真実味があるといった位置付けですよ、僕の中では。・・・・ごめん、明らかに言い過ぎました(笑)。

それで、話は戻るんだけど、長い作品てなんか不安になりませんか?「あじゃぱん」にしても、章の終わりに少し「ぽい」こと書いてあって進んでいくんだけど、「小手先の技術じゃないの、ホントに意味を考えて使ってるのかな」ってドキドキしながら読んでる。

 

金イ國許 の発言 :

たしかに、こんだけ長いんだから、それに見合った意味はあるんだろうな、という気持ちは出てきますよね。

 

ユゴー の発言 :

『姑獲鳥の夏』だとか、特に大衆小説はどれもこれも長いじゃないですか。実際、厚さが価値を持ってくるのは充実感以上にあるのか疑いたくなるんだけど、厚さの価値ってなんだと思います?

 

金イ國許 の発言 :

有無を言わさぬ迫力とか、機微を的確に描出するとか。

すいません、僕が挙げた長編ってそうそうたる面子だから、正直何も言えません(笑)。この分量でなきゃ現せない領域、もしくは厚くすることでより精緻に描けることってのは確実にあるんでしょうけど、今はわからないし言いたくないなあ。文学全集をあらかた読んでからだったら言える気がする(笑)。まさかトーチカやお買い得感だけがページ数を増やす要因だとは思えないし(笑)。

 

ユゴー の発言 :

基本的に一代記になると、必然的に長くなると思うんですけど、一代記ってどうですか?好きですか?

 

金イ國許 の発言 :

でも山崎豊子の「花のれん」なんかは長さ的にはたいしたことないじゃない?

 

ユゴー の発言 :

ブックガイドが同じだと、読んでる本が共通していてやりやすい(笑)。

つげ先生も言ってたことだけど、物事の背景を長く書くのは、親切だけどリアリティが薄くなるんじゃないですか?描き方もあるから一概には言えないけど、背景の説明って要するに説明にすぎないわけで、出来事のリアリティを増すためだけに書かれているのだから、不純物というか、邪魔といえば邪魔なわけですよね。確かに山崎豊子は人物の書き方が癖から何まで、細かいですけどね。果たして本当に必要だったかと言われるとやっぱり完全には納得できない。そういえば「白い巨搭」も「沈まぬ太陽」も長いなあ(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

でも、リアリティを増すための説明ってものが一概に邪魔かって言われるとそうでもないでしょ?そうそう、一度話してみたかったんだけど、結局これはね、結構深いところに問題の根っこがあると思うんですよ。つまり、ユゴーは一代記だとか冒険譚だとかビルドゥングス・ロマンに何の価値も見出せないんでしょう。君は多分「遅れてきた文学至上主義者」なんですよ。一代記に限らず、一般に言う「大衆小説」全般を認められないんじゃないですか?

 

ユゴー の発言 :

え、そうなりますかね。今は味付けのことを話してるつもりなんですが。

 

金イ國許 の発言 :

だから問題は深いところに根ざしていると言ったんですよ。つまり、そこに文学的要素を見出せなかったとき、君にとって作品は無価値になる。何が文学的かという話はまた後日するとして、小説なんて形態を信じてないとでも言うのかな?少なくとも言葉の力なんて信じてない。「概念操作を裸のままで出してくれればいいのに、なんでわざわざ小説なんて形式をとるんだろう」、そう思ってんじゃないですか?

 

ユゴー の発言 :

漠然とですけど、確かに「文学的か否か」にはこだわりますね。「なるべくシンプルに」と思っているかもしれない。

 

金イ國許 の発言 :

それって小説読む必要ないんじゃないですか?

 

ユゴー の発言 :

うーん。いや、まあ、「概念操作によって対象を見るとこう見える」っていうところを見ているんであって。

 

金イ國許 の発言 :

それは、そもそも概念操作によって達成できるのでは?

 

ユゴー の発言 :

確かに達成できるのかもしれないけど、ワインの作り方を知っていて飲んだことがあってもワインを味わってみたいっていうのもあるでしょう。

 

金イ國許 の発言 :

自戒の意を込めて、ちょっと手厳しく追求したいんだけど(笑)、そういう態度は、真にいい作品を追い求めようとする、偉そうに言えば、芸術の営為から外れるというか、そもそも達しようとする気がないと言えるんじゃないのかな。つまり、余暇的な意味での「いいもの」を求める欲求を持つのならば、例えば小説という形式を丸ごと肯定してしまって、そこからスタートした方がまし――健全だし楽しいのではないのか、そういう意味なんですけど。

これは物語を一般読者がどう受容するかの問題ではなくて、作品を受容するプロセスにおいて、作品価値の在り処を見失っていないかということが言いたいんです。例えば「切実さ」という際に、それは概念操作からも確認できる現象であり、文章による技巧的な派生効果に留まらない。つまり、小説とは、概念プラス文章なのではなくて、概念と文章の間にあるものであり、そこを見る姿勢というものは「ワインの作り方を知っていて飲んだことがあってもワインを味わってみたい」という、回顧的・ブルジョワ的な欲求とは対極にあるんじゃないのかな。

 

ユゴー の発言 :

「ワインの作り方を知っていて飲んだことがあってもワインを味わってみたい」という僕の発言は少し置いておくとして、いま金イくんが言ったのは、概念と文章は対立構造を成しているということでしょう。何か表したいことがあって、そのためのツールとして文章があるわけではなくて、文章というものそれ自体が概念と同様の――全く同じだという意味ではないですけど――存在である。そして文章は概念と相互に作用し合って、独特な効果を生み出している、と。こういう考え方からすると、文章と概念の「間」を見ることが小説の真価なんだという主張は確かに正しい。

 

金イ國許 の発言 :

ええ、そういうことですよ。概念の具現化が文章である云々といった話ではなく、概念や文章を超越した所に小説というジャンルが自律的に存在するということを肌実感として持たなければ、文学は語れないのではないか、ということです。姿勢の問題です。

 

ユゴー の発言 :

しかしですね、「超越した所に小説というジャンルが自律的に存在する」といってしまうと、例えばある作品を評するときに、概念や文章といった要素だけでは語ることが出来なくなってしまいますが、それについてはどう説明するんですか?

「作者が伝えたかったところを見るだけが読書ではなくて、文章というのはそれ自体力があるのだ」という意見を聞いて、僕が引っかかっているのは、河野多恵子の「不意の声」ですよ。あれを薦めてくれたとき、金イくんは確か、あの文体が素晴らしいんだ、リアリズムを支え得る稀有な、鋼の文体だ、としきりに言ってたじゃないですか。文章それだけをもって小説を評価しているように思えましたけど、これはどうなんですか?矛盾しませんか?

 

金イ國許 の発言 :

小説を見るとき、その注目の仕方はいろいろあると思います。「猫が出てくる」というキーワードで本を集めてる蒐集家がいるように、基本的に小説の見方に規則なんてないのは当たり前なんだけど、僕が「達成度」と呼んでいる、その小説の偉大さの見方においては、「小説」がどこに位置しているのか、ということがとても重要だと考えるわけですよ。「位置」っていうのは、言い換えれば概念と文章のバランスなのかもしれない。私が「不意の声」の文体を賞賛したとき、賞賛の対象はあくまで一要素としての文章であって、その巧拙ではないわけです。というより、文章の巧拙は概念の良し悪しと切り離せないんですけどね。君の考え方からは、単に修辞を誉めることしかできないはずだし、究極的には概念操作にしか興味が無いわけだから、修辞を誉めることも本来的には無意味なんじゃないですか?

 

ユゴー の発言 :

うーん。ちょっと順を追って考えたいんですけど、概念が文章に影響するのは、創造の行程から考えても、当然あり得ることですが、金イくんは文章が逆に概念に影響すると考えているわけですか?

 

金イ國許 の発言 :

もちろんあるでしょう。だからこそ作品は作者のものだけではない、そう言われるんじゃないですか?

 

ユゴー の発言 :

じゃあ、雰囲気ってありますよね。文体が織りなす独特のものです。それが概念と結びついていない場合は評価できないんですか?

 

金イ國許 の発言 :

評価できませんよ。雰囲気が概念と結びつかない場合は、その雰囲気は根無し草なわけで、「サブカルくんのオシャレ感覚」に過ぎないと思います。同じようにして時代や風土が関係してくるんでしょう、よく分かりませんけど。

 

ユゴー の発言 :

「主張に文体がマッチしている」って、よく理想形を表すときに使われますよね。でも、これを判断するのは、作品が雰囲気を持っているか持っていないか、という点においてじゃないんですか?

 

金イ國許 の発言 :

しかし、その雰囲気というものが、文章のみから出ている場合と、作品全部から出ている場合というのは自ずと区別されますよ。これは掲示板で「紅い花」のときに少し触れたんだけど、いわゆる「イメージ」、世に言うイメージですよ、ああいうものは作品全部から出されいてるものだとは言いがたい。雰囲気があると言ったって、作品全部から出ていない「イメージ」としての雰囲気を醸し出す作品というのは必要以上におどろおどろしかったり、色々と無理が鼻につくんですよ。いい例が――いい例が浮かびませんけど(笑)、例えば古谷実の「ヒミズ」ってあったじゃないですか。

 

ユゴー の発言 :

はいはい。好きですよ。

 

金イ國許 の発言 :

好きですか(笑)。あれなんかは、非常にいい具合に失敗している例だと思うんだけれども(笑)、「売れっ子漫画家がこんなシリアスなのを描いちゃうぞ」的な構想は面白かったんですが、それを支えるだけの画力も無かったし、構成もなかったし、ついでに概念も無かったように思うんですね。このことは読んでもらえれば納得できると思うんですが、「ヒミズ」に見られたおどろおどろしさっていうものは、迫ってくるものではないわけで、じゃあ迫ってくるものと何が違うんだろうと考えたときに、ちゃんと根を張っているかどうか、っていう視点が生まれるのは普通なんじゃないですか?

 

ユゴー の発言 :

うーん。好きな作品を貶されて納得するには、いまいち具体性に欠けますね。

 

金イ國許 の発言 :

じゃあ、例えば、何でもいいんだけど、マイケル・ムーアのように主張が文体を食ってしまったら、僕には「作品が損なわれている」ようにしか見えないわけですよ。

僕は「ボーリング・フォー・コロンバイン」にしろ今回の「華氏911」にしろ、僕の言う「マッチしている」作品だとは微塵も思わないんだけど、一般的な意味で「マッチしている」という言葉にこれほど適合する作品も無いんじゃないかな。逆に、もし「マッチしていない」と言うのであれば、そもそも「作品の位置」について触れざるを得ないわけですから、都合がいいんですけどね。だって、あれはプロパガンダなんですから、あれだけの共鳴者を生む――見解を伝達することに政治的に成功している以上、主張と文体は極めて合致しているはずなんです。

このことは否定できない事実だとさえ思うんですが、つまり、そもそも「マッチしている」ということは、「合っている」程度の状態を意味するのではなくて、文章なり概念なりが、間にある「小説」というものをつぶさずに支えられていることを表しているんじゃない?

 

ユゴー の発言 :

マイケル・ムーアに関しては私も異論無いんですが、ちょっとその前に、きちんと答えてるべき課題が見えてきたんで、話の腰を折らせてもらいます。

課題とは、二つの「雰囲気」をきちんと定義付け・区別しなければならないということと、判断基準を明確に言語化しなければいけないということです。前者に関しては、掲示板の件と前後して詳しく聞いたことがあるので、それをここにもう一度おこしてもらうとして、後者はこの座談でも金イくん自身が言ってきたように、本についてああだこうだ言う際の礼儀に当たる問題でもありますからね。クリアしないと先に進めないでしょう。いずれにしても、もう少し具体的に考えてみる必要がありますね。次夜までに、一つの作品を選んで、それを例に話してみましょうよ。

 

金イ國許 の発言 :

意外と整理されている気がするんだけどなあ・・・。

じゃあ、河野多恵子行きますか?

 

ユゴー の発言 :

迂闊なこと言えないから、もっと評価が定まっていない人にしましょうよ(笑)。

 

金イ國許 の発言 :

最近読んだ本の中で良かったのは?

 

ユゴー の発言 :

小島信夫の「アメリカン・スクール」(笑)。だめだ、全集出て無い人にしましょう。そして若い人。

 

以下次夜。

 

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