馬場毎日

高田馬場つげ義春研究会がおくる、「塵も積もれば崖崩れ」的エッセイ日誌『馬場毎日』、過去ログ待望の第三弾が登場!大幅加筆・大幅修正で充実の今回は、書き下ろし「ズドーン」や馬場つげ研史上初めて携帯画像を使用した「さようなら、クラシック」を含む、2005年2月分を完全収録!!

 

【目次】

 

2月01日 誰も知らない2月

2月02日 ズドーン

2月03日 ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか

2月04日 ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか2

2月05日 ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか3

2月06日 身も蓋もない話

2月07日 新宿南口70s

2月08日 罵声人語

2月09日 罵声人語2

2月10日 罵声人語3

2月11日 罵声人語4

2月12日 罵声人語5

2月13日 yellow tear dropsさんが凄いことになっている

2月14日 十二月三十一日 山へ行く

2月15日 いい感じよ

2月16日 馬場つげ研に聞いてみよう

2月17日 罵声人語6

2月18日 舟に棲む

2月19日 菅野修展メール転載

2月20日 なぜ竿竹屋は潰れないのか

2月21日 あびる優と下町のニヒリスト

2月22日 『バンビ』復刻

2月23日 罵声人語7

2月24日 ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか4

2月25日 芥川賞作家を読む 阿倍和重の場合1

2月26日 山崎さやかに長編を求む

2月27日 TYS/ BGMとぼく/僕らは多分死んでいる

2月28日 さようなら、クラシック

 

 

 

2月1日(日) 誰も知らない2月

 

ネット界と現実の風に吹かれても、健気に頑張る馬場つげ研です。がんばります。もう10時(朝)なのに、既にオネムです。現在つげ義春の『蟹』を読み返してます。ポッケを膨らませるところがいい。今のところ、それぐらいしかいえない。理由は、誰も知らない(オネムのオツム)。
 

明らかに1月後半は更新が落ちていたって?意外と更新してる気がするんだけどなあ。「あだち充論」どころかほとんど愚痴じゃねえかって?

 

ヒィイー!(ジョン太夫風に。)

その理由は、誰も知らない。

先日、渋谷のブックファーストにて新刊チェックをやってまいりました。本屋に行くたびに思う、新刊点数の多さ。毎月毎月これだけの本に出まくられると、もう手に取るのもアホらしくなって、『小林秀雄論』(2300円)を購入して、とっとと帰宅しました。


 で、ざっと見渡したところの新刊の印象は、谷川俊太郎の「朝のリレー」(チェルノブイリで爆発が起こっているころ、東海村では漏れ出している)が収められている詩集「あさ」「ゆう」(まんまじゃねえか)の影響か、詩の文庫シリーズが出ているみたいです。ズラッとな。ちょっと名前が思い出せないんだけど、カバーを刷新した「講談社新書」っぽかったです(後日、『詩の森文庫』と判明)。「あさ」「ゆう」も「セカチュー」の写真カバーノリだからね。どうもね。

 福田和也の「月100冊読んで」第二弾が出ていて、立ち読みする。小松左京が百科事典を切り抜くのに驚いたと書いてありました。似たような話をどこかで聞いたようなと思ったら、ミズキサン・・・「切抜きといったら水木サン」。

阿部和重の芥川賞「グランド・フィナーレ」をながし読み。1400円。ほか3編なんていらないなあ・・・でも「グラ・フィ」が掲載されてる『群像』も900円か。もっといらない。安部和重は最後の大物と呼ばれていたとかいないとか。たしか「J文学」ね。誰も知らない。「ロリコンがばれちゃって家庭崩壊物語」というから興味津津だったけど、お話的にはインモラルすぎず、ってところか。高校の同級生Kが小学6年生と付き合っていたのを思い出した(実話)。とにかく、あの表紙だけはいただけない。

あ、突然だけど、僕がアメリカ人が嫌いな理由は「ざっくばらんだから」、繊細さに欠けるからって言っただろ? あれの証拠が見つかったよ。アメリカ版「鉄コン筋クリート」のタイトルは「BLACK&WHITE」なんだって。そりゃそうなんだけど、あの国には情緒ってもんがないのか!むかついたんで、中島みゆき「糸」のコードをどうぞ。

 


Aメロ

G C G D/F# Em 
Bm C D G C G D/F#
Em Bm C D D7/E♭

Bメロ 

Em Bm C G G/F#
Em Bm C D

サビ

G D/F# Em Bm/D C
G/B A D D7/E♭ Em Emmaj7
Em7 A/C# C D G 


歌詞は何かと五月蝿いから省略ね。

 

 

2月2日(月) ズドーン

 

みなもと太郎『漫画の名セリフ おたのしみはこれもなのじゃ』を読んだ。和田誠のベストセラーをパロディーした、模写とコメントの漫画評論である。さすがはみなもと太郎、セレクションが濃い。マンガ史の要点をバランスよく押さえている。

 

で、つげ義春の『沼』である。他の有名どころではなく、きちんと『沼』を選出するところ、かなりのマンガ読み巧者という印象を受ける(例えば、あくまで名「セリフ」に拘るのならば、『李さん一家』『海辺の叙景』『長八の宿』『ねじ式』等々、もっと分かり易い作品を選ぶことが出来るはずだ)。

みなもとは有名なラストシーンを「画面からこれほどはっきりと、“音”の聞こえた作品を僕は他に知らない」と評し、名セリフとして「ズドーン・・・・」という描き文字をピックアップしている。ファンならずとも、思わずニヤリとしてしまう絶妙なセレクトだ。

 

『沼』のラストシーンについては、ユゴーの新連載「つげ義春ラストシーン考」が詳しく分析するだろうが、初めて読んだとき、私はこの一頁の持つ圧倒的な静寂に息を飲んだ。改めて読みかえせば、この異様な静寂が、物語のスタートにあたる扉絵とエンディングの一頁が見事に呼応することで生まれる、構造上の完結性に由来するものだと納得することができるが、読者のそうした意味付けを拒絶するかのような、厳粛な、凛とした静けさが漂っていた。

 

学園祭のトークショーで、通りすがりのおじさんがこのコマのパネルをじっと見て、「この青年は何を撃っているのですか」と聞いてきた。もちろん、彼はつげの名前すら知らなかった。「何を撃っているんだとお思いですか?」逆に質問してみると、おじさんはしばらく考え込んだあと、「彼は沼に撃ちこみたかったんだろうなあ」と、呟くように言った。

 

永久に続くであろう静寂を破るために猟銃を撃つ、青年の徒労と孤独。コマを見ただけで痛いほど伝わってくるそれらを前に、こちらとしても黙っているほかない。画面からこれほどはっきりと“音の不在”が聞こえた作品を私は他に知らない。

 

 

2月3日(木)

ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか

 

なんてかっこつけたタイトルつけてみました。「かっちブー」(©松本大洋)ですか。そういえばクラスに必ず一人はいましたね、こういう語感だけで生きていけちゃう楽なポジションのキャラ。前谷とか(実名)。

で、「ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか」。面白そうなネタなんだけど語り尽くす自信がないから「加筆しよっと」なんて楽なポジションで語感だけを楽しもうかな・・・・ハッ、これがクラスにいる一人?


 要するに、J-POPは現実を見据えることが出来ているのか、ひょっとしたら、万が一ないとは思うんだけど、全くもって考えられないこと、ありえない話なんですけど、「夢物語」に落ち着いちゃっているんじゃなかろうか、というのが私の問題意識なんですよ。

例えば、ラップが「成り上がってくぜ」的な永ちゃん哲学を不況下の新世紀まで引きずっているように、未だに愛だの夢だの美辞麗句を連ねて煙に巻いているハットリクン状態にあるとするならば、木の上から「ニンニン」言われましても、年月を重ねて多少の分別ある身としましては「・・・・ねぇ〜」としか言いようがないわけで、これがファミコン版ハットリくんならドットの荒さをB級的に楽しむこともできようものですけど、キャラすら定まっていない微妙なアイドルに「♪忍者でごっざっるぅ〜」なんて歌われた日には、呆れを通り越して怒りを、堕落した日本社会に対する憤りを感じても無理はないでしょう。一文長っ。

 で、そんなふうに無責任かつ野放図に拡大していった、我らが物欲と性欲の狭間たるJ-POP的「夢」は、バブル崩壊をターニングポイントとして現実的になるかと思いきや、厳しい現実から目をそむけ、より逃避的色合いの濃い、観念的なものになっていきました。そして、この「精神至上主義」が限界ばかり露呈して大失敗したことで、どうしようもなくなり、にっちもさっちもいかなくなって、語りさえも捨てて「癒し」系へと進んでいくわけです。坂本龍一の「ウラBTTB」がオリコン1位を取ったことで、J-POP的「夢」は立ち直れなくなった、有効性という観点から完全にその役割を終えたはずだったんですが、どうも最近は盛り返してきていると。

 音楽バブルがはじけて、3000枚売ればオリコンの左ページに載ってしまうような状況にもかかわらず、未だにJ-POPが「夢」を語り続けることが出来るのは、新たな「夢」を獲得したからなのか――つまり、明らかに飽和してしまったJ-POP的「夢」が、■一度「エンディング」を語ることで自らを乗り越え、メタモルフォーゼしたのか、もしくは■そんな現実にすら気付かずにブイブイ言わせちゃっているから売れていないのか、それとも■作り手・受け手を含めた音楽の周辺がどうしようもなくアホなのか。

 

ここんとこを大雑把に考えてみたいわけです。

 

 

2月4日(金) 

ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか2

 

近ごろネットの使い方がわかってきました、金ゐです。最近の『馬場毎日』を読み返していたら、自分かなり調子乗ってますね。言いたい放題というか、便所の落書きというか。何様だって思われる方もいるでしょう。

緑のおばさんがこわい。あの人のネットでの性格がこわい。

アイポッド買ったけどパソコンがありません!世の中広しです。

さて、前回の続きを書き始めましょう。あだち充にとって偶然とはリアルだと言えるのか。・・・おっと、これはもう終わったんでしたね(まだ何も終わってなどいない/『オールドボーイ』)。あだち充論はそのうち必ず書きます。というか、今書いている最中です。私にとっての甲子園に辿り着く頃には必ず完成させましょう。浅倉ァ。さてさて、「ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか」。

 

JーPOP的「夢」の変遷から歌謡曲の構造とその未来を見ていこうという、いつかだれかが集英社新書あたりで(もしくはNHK出版あたりで)書いてくれるであろう大河企画です。未来の何某さんに詳しくは譲るとして、私は「歌謡曲は美辞麗句ばかりで芸術的じゃない」というようなお門違いの批判をしたり、「歌謡曲は社会が投影されている」という、社会学と心理学を履き違えてしまったサブカル学者のように分析しだすつもりはありません。どちらも好きじゃないです。

 

私は、坂本サトルという、どちらかというとマイナー系のミュージシャンが『風の行方』という曲で「♪夢をかなえた人はどこにいけばいい」と歌ったとき、かなり衝撃を受けたんです。ああ、これはJーPOP的「夢」が新たな展開を見せているんだな、と期待した。その経験から語りたいと思います。
 もちろん坂本サトルが「ランキングを駆け上がった」(cスガシカオ)わけではなく、むしろ売れなかったし、猫も杓子もカバー・コラボ・トリビュートの音楽業界相互依存時代にも関わらず、誰かにリスペクトされたという話を聞かないので、彼の曲がどれほど新しかろうが、時代を変えていく力は現実としてなかったわけなんですが、やっぱり私は「おお新しいな」と感銘を受けたのですよ。もう結構前の歌なのかな?(←真面目にやる気なし

 まあ結論から言うと、自己憐憫を超えて、一歩前に出たと思ったわけですよね。それまでも自己憐憫以上の「夢」を歌い上げるミュージシャンはいたんですけど、例えば「優しさ」でくるんでみたり、必要以上に刺々しい攻撃的な姿勢をとっていたわけです。舐めるつもりが噛み付いたり。
 

時間軸は微妙なんですが、今は亡き(!)GLAYが、たしか10万人ライブについて歌った曲がありました(タイトル失念、誰か教えてください)。この曲あたりから、彼らはビッグバンドを超えた「超ビッグバンド」になってしまったことで自我崩壊し、滅茶苦茶になっていくんですが、その壊れていく過程が現れた、非常に興味深い曲でした。

坂本サトルはこれすら軽く超えてしまうんです。資本主義モンスターに飲み込まれるか否かという、ほんとうにギリギリのところで戦っていたGLAYの曲には、だからこそ悲壮感だとか、迫るものがありました。それを、「夢をかなえた後を心配しちゃう」という売れてない人には非常に珍しいスタンスで、パッと超えちゃったわけです。これはかなり特筆すべき出来事です。イントロ、ボトルネックでアコギが「フワアアン」と泣いた瞬間、そこにはJ-POPの新たな到達があったわけですよ。

 別に私は、「普通だったら夢を叶えることしか頭にないのに叶えた後のことまで考えていて坂本君は中長期的戦略がしっかり練られているからプロジェクトマネージャー的ストラテジーに長けていてソリューションが」と思って感銘を受けたわけではありません。石原慎太郎を読んでどうもしっくりこなかった金持ちの絶望が、武蔵美出身村上龍の『テニスボーイの憂欝』を読んだら理解できた、なんてこととも違います。

 

 

2月5日(土) 

ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか3

 

さて、坂本サトルというマイナーミュージシャンの一曲になぜ過剰に反応するかということでした。そりゃもう、楽曲がテーマを端的に表していたからなんですが、それじゃ音楽史的には語れないぞ、と。私は、坂本サトルの『風のゆくえ』は、J-POP全体からみて、とても興味深いと思うんです。

「アコギ系」という絶妙なジャンルの「坂本サトル」という絶妙なシンガーソングライターに、そのような変化の兆しが見えたことが特筆すべきことなんです(もっとも、『風の行方』もご多分に漏れず、「♪君が決める旅ぜよゴーアヘッドぜよこんちくしょうぜよ〜」と締めくくることで、甘美な奈落へと落ちていっちゃったんですが)。

 アコギ系は・・・・、なぜ私が「フォーク」と言わないで『アコギ系』と呼ぶかについては別項で語りたいんですが、要するに『アコギ系』=『ネオ・フォーク』は、そのスタイルの特質として、限定性とでもいうべき、一種独特の「狭さ」があります。弾き語られるべくして書かれた楽曲は、対象の範囲を狭めざるを得ない。それに伴って、表現の範囲を狭めざるを得ない。
 これは、はじめから大多数を相手取るバンド形式のロック、さらに究極的には演奏を必要としないテクノ――怒られてしまうので、電子音楽とでも言いましょうか――とは、そもそも違うわけです。こうした演奏形態というものは、一見単純なことのように思われるかもしれないですが、最もしっかりと内容を規定していて、だから制約を乗り越えたとき高く評価されるべきだと思うんですが、まあスタートですよね。

 演奏形態という制約への挑戦として、かなり悪ノリ感があるものの、ピックからドリルに持ちかえる演奏方法(
ポール・ギルバートが「lean into it」の中でドリルの先にピックをつけて弾いたり、他多数)なんかがありますよね。これは、大袈裟に言えば、ロックがロックたる要素である「反体制・反常識」の現れであるとともに、閉塞した構造に風穴をあける行為とも読めます(ドリルだけに)。「MR.BIGはロックか?」とか言わなくていいです。私はJ-POPの話をしているわけですし、洋楽聴かないですから。

 しかし、やはりこうした器具による行動では、いかんともしがたい限界がある。そもそもギター・ベース・ドラム、あるいはシンセ、大本の器具自体が矛盾を孕んでいるわけで、ピックを変えようがピックアップを変えようが、使ってるスタイルは同じなのですから、有効性はかなり低い。目立ちますけどね。

 打ち込みを増やし、曲を重層的にすればするほど、また新たな壁ができてしまう。アコギ系が弾き語りのスタイルを採るのは、それを防ぐ意味合いをこめてのことであるはずで、だからそんなジャンルの坂本サトルをピックアップするわけなんです。

 注意しておきたいのは、基本単位をどちらに採るかということ、そこは各人の認識に依るところで、バンド形式を否定するべきではない。「人数・楽器が多いから遠ざかる」とは一概に言えないわけです。だいたい音楽には「グルーヴ」なんて卑怯な概念もあるくらいですし、そもそも楽器それ自体に対して、疑問を持つことは必要だけれども、不信を抱く人間は音楽なんてやるべきじゃないんです。要するに、「音楽は制約ゆえにそれを乗り越える可能性がある」。これは今秋掲載予定のねじ式論にて詳しく述べるところなんですが、まあギターをテルミンに持ち換えたところで何の解決にもならないのは、納得していただけるかと。

 

はっ、またズレた!

 

 

月6日(木) 身も蓋もない話

 

「究極のビジネスマンゴルゴ13の仕事術―なぜ彼は失敗しないのか」
(そんな本があります)

まんがだからです


「チョコレートの好きな人は、いい人です。」(明治製菓)

きたのくにのどくさいしゃはどうするんですか


「きれいなお姉さんは好きですか」(化粧品メーカー)

美の基準は主観による部分が大きく、「きれい」という語が肯定的な意味に使われる日本語において「きれい」が嫌いというのは一種矛盾であるため、質問が成立しない可能性があります。

 


み、身も蓋もねえ!

 

 

月7日(月)  新宿南口70s

 

JR新宿駅南口が、また開発されるらしい。
 LUMINE2、JRビル、タイムズスクウェア等々、巨大建築物がボコボコと登場して、その度に様変わりしてきた南口だが、今回もまた何か出来るようだ。別に駅ビルが出来ようがストリップ劇場が出来ようが茅葺き民家だろうがつげミュージアムだろうが何でも構わないのだが、一点だけ、工事用の仕切りが気になった。

 仕切りと呼ぶのが正しいのか、名称は知らない。白い2メートルぐらいの塀である。こういった仕切りには、芸術家の卵みたいな兄ちゃんが時間をかけて力作を描いたり、「グラフィティ」と呼ばれるスプレー缶の落書きを夜中にチンピラが描くかして、ある種「表現の場」、キャンパスになることも多いのだが、工事主からすれば迷惑もいいところなので、落書を防ぐためにもともと絵が印刷されていることもある。
 工期が終われば取っ払われる運命のキャンパス。印刷された絵はかなりあたりさわりのないものになるはずなのだが、南口の仕切りには、メッセージ性の高い、手間がかかった絵が何パターンも印刷されていた。開発計画を盛り上げるためなのだろう。しきりに「昔の新宿アゲイン」的な煽り文句が目立つ。サブカル層へのアピールとして今や常套手段となった、70年代アピールである。
 
 盛り場としての新宿は、高層ビルの林立、オフィス街としての機能発達によってその使命を終え、人の流れは渋谷へと移った。アングラ文化の中心として栄えた新宿に対し、パルコ戦略など、資本介入の度合いが大きかった渋谷では、コギャルに象徴される消費文化が花咲く。

新宿と渋谷。この違いは何なのだろう。

熱狂の時代は遠い。しかし、それは「政治」の終焉だけに由来するものなのだろうか。サブカルとは何ぞや?我々は遠くから来て遠くへと行けるのか?
 そんなことを考えながら、南口から代々木に向かって歩く。ドコモタワーに夕日が沈んでいく。9.11の近辺、世界貿易センタービルを模したとか模してないとかで、ドコモタワーが標的になるのでは、という噂が飛び交ったことがあった。70年代から遠く隔たった現在、世紀を跨いでも、世界に平和は訪れていない。通称「カップル坂」、JRビル前の通りはイルミネーションで彩られ、人々は幸せそうだBOA。

・・・・・BOA!?
まじで? BOAちゃんじゃない?

うわっ本物だ。握手してくださいあくしゅ。やったー!

ヴァレンチノっての? うわー可愛いなあ!


政治の時代は遠い。


月8日(火)  罵声人語

 

私にとっては第3号、実際は132号(!)の「軟骨珍聞」が届いた。トップの記事、夫婦漫才的エッセイが面白い。まるで「探石行」のようだ。山梨だし★怠慢ゆえに未だ「ノスタルジア」を獲得できていない。Webで頼んでしまえばいいのだが、これ以上頼むとホントに大変なことになる。いったい何冊届くんだろう。とりあえずギタースコアだけで100冊以上だ。嘘つきだよ僕は★近所の古本屋が閉店セールで全品半額。キター!とばかりに、普段買わないもの(買えないもの)を買う。たとえば大判ヴィジュアル本の類。「『暮らしの手帳』の歴史」みたいな。そんな中で『螺旋3号』を発見!螺旋はいったい何号まであるのだろうか★朝日新聞スポーツ欄が寂しそうだ。読売と叩き合った昨年のプロ野球問題では、西村欣也とかいう記者が鼻について仕方なかった。「朝日の正義」、アカイアカイ赤いアサヒ。しかし、ないと寂しい★知人が佐伯啓思にはまっているんだとか。「どうせカバーにつられて講談社の新書を買ったんだろ」と悪態を吐くと、「すごーい」と黄色い声(?)。新刊チェックしていてつくづくよかった。その後二人が夜の街に消えたのは、言うまでもない★ユゴーが偉そうに忙しい忙しいと言う。死ねばいいのに。★石川県をアップ。まだまだ日本全国には程遠い『詳細旅マップ』だが、これが意外と時間を食う。ストックは関東圏のみなので、苦しい状況だ。現在は合間合間を見つけて作り、2週間弱に一度のペースで掲載できている。完成した暁にはどこかの情報サイトで拾ってほしいナァ★今更「前田愛」を読む。といってもテクスト論の方ではない。ガメラを許さない方だ。注目CMタレント名鑑の古い奴を100円で買った。予測があたって大人気の女優もいるし、気の毒なことになった人もいる。ただしこれだけは言っておきたい。プッツン女優・広末は、丁寧に過去の超人気アイドル路線を踏襲している点において、全く気の毒ではない、ということだ。かなり順調にきているのだ。駄目な方に★キムタクが近くに引っ越してきたとか来ないとか。久しぶりにストーカーテクを・・・・っと、こう書くだけでも捕まってしまう、平和と秩序の国、ジャポン。いよいよ北朝鮮戦だ。何か起これ。

 

 

月9日(水)  罵声人語2

 

ネタに走っちゃ駄目だ、腐りきった脳みそを振り絞って考えるんだ、試行錯誤!試行錯誤だよ(©楳図かずお『漂流教室』)★風邪を引いてダウン中です。弱いなあ・・・。つげ義春ツールバー「ツーゲ馬ー」を作っていて最近寝不足だったんだ。とりあえず今日はゆっくり休んで明日から頑張ろう。今日のために昨日も寝て、明日のために今日も寝る(©松本零士『男おいどん』)★函つきの本、って別に珍しくないと思っていて、実際珍しくはないんだけど、まっとうに生きていると出会わないらしいですね。六本木青ブクで「帯ないんですか?」と聞いたら、変な顔されたとです、金ゐです★自分企画「100円で揃えるシリーズ」第一弾は「ガラスの仮面」文庫版で、見事集め終わりましたが、第二弾は白土三平。「忍者武芸帳」があと1冊、「カムイ伝」はあと2冊、「カムイ外伝」あと5冊!「サスケ」は2冊しか持っていない。意外と厳しいですよ。白土作品は根強い人気があって、文庫がだいたい300円以上しますから。ごめんなさい漫画文化★いいことがあってこその笑顔じゃなくて、笑顔になりゃいいことあると思えたら、それがいいことの序章です(©ミスチル『paddle』)。なんだかんだ言っても好きなんじゃんとか言うな!大好きさー!好きさー!好きさー!

 

 

月10日(木)  罵声人語3

 

このスタイル楽だな、ぼぼぼくはおおおにぎりが好きなんだな★熱で朦朧とする記憶のなかに、君を見つけたよ。汗でグッショリと濡れたシーツを剥ぎながら、二人歩いたポプラ並木の追憶に耽る。もうほとんど廃人★「菅野修展に行けねえよ(怒)」と理不尽なメールをギャラリーに送ったところ、案内はがきを郵送してくださった。ありがとうございました。菅野修がジャズ好きだとは聞いたことがあるが、セミプロ(プロ?)だそうだ★北朝鮮戦を見た。久しぶりのサッカー観戦(テレビだけど)。北朝鮮にとっては考えられる最悪の展開で、ワクワクしたね。ああワクワクしたさ。悪いか? 日韓戦といい、半島の奴らとの試合は、緊張感がいい。純粋にゲームとして競ったのでは絶対に得られない、重苦しさが好き。俊介・高原を入れた後半が前半に比べて動きがよかったかどうかはともかく、やばくなってくると躊躇せずに海外組を投入したジーコ采配の皮肉★口煩い自己中と決別することで、彼は成長できただろうか。これも自己中なりの愛情表現。

 

 

月11日(金)  罵声人語4

 

大更新したいよ〜ん。おろろん。僕がロングシュート決めたらあの娘どんな顔するんだろ★本年度芥川賞作家・阿部和重を重点的に読み返している。本日は「ニッポニア・ニッポン」。この作品について阿部は「『金閣寺』と『セブンティーン』を踏まえて云々」と言っていたが、「さすがに失礼じゃないか?」と突っ込んでしまった。特に、日本文学が誇る『金閣寺』と同等に語るには無理がある。金閣寺萌えで燃えちゃったナルシス坊主に対し、トキ萌えで佐渡に乗り込んじゃったナルシスヒッキーまがいでは、自己投影の対象に格段の差がある。トキの何が主人公とリンクしたのか、という点だけ見ても、絞り込めていないというか、説得力に欠けていて、思わず失笑してしまう(笑いを狙ったにしても不発だからこその失笑だ)。それを「隠喩からの徹底的な脱却」とかフォローしてしまう精神科医にも失笑してしまう。お前は香山リカちゃん人形か★自問「阿部和重のいいところを20字以内で述べなさい」。自答「継続するパラレルワールドの妙。」つまり、かなりざっくり言うと、「世にも奇妙な物語」がパラレルワールドを結局のところ「奇妙な」「物語」としてしか見れていないところを、きちんと現実にリンクさせていることでしょうか。「ジルジルジルッ」とパラレルワールドへ移行するタイミングが絶妙で、それは『ニッポニア〜』でも見られた(ニュアンスが難しいんだけど、藤子不二雄ワールドじゃないんですよ)★今月号の文学界に『グラフィ』が掲載されていた。800円弱・・・うーん。芥川賞掲載号の見所の一つに選者の言葉がある。特に石原慎太郎の石頭老人ぶり、捻くれっぷりが凄い。とにかく受賞作をけなして、選に漏れた作品を少し持ち上げる。その持ち上げ方も「これはいい」じゃなくて、「どれもこれも駄目なんだけど、こっちの方が先がある」的な横暴さ。都知事様には逆らえません。ちなみに今回石原がプッシュしていたのは「野ブタ。をプロデュース」とかいう(多分)、内P的タイトルのえらく若い人の作品だった。前回の芥川賞では、「好き好き大好き超愛してる。」をタイトルだけで切り捨てていたくせに。これが賞を獲ったら必ずけなすくせに。

 

 

月12日(土)  罵声人語5

 

ブログ全盛の今、サイトだから出来ることを考える。手軽じゃないから出来ること。熱い思い。誠実さ。そんなものを伝える・・・・・気はないなあ★「つげ研にできる、すべてへ。」キャッチコピーはどこぞで聞いたことのあるものに決定。ちなみに、今やっていることが「つげ研にできる、すべて」だなんて思ってませんから!忙しい人もそうでない人もがんばっていきまっしょい★本日牛丼復活も、知り合いの店がオープンしたのでつげ研メンバーらと食事に行く。渋谷の焼き肉屋さんだ。知り合いとは、私の大学の先輩なのだが、この人なんと元ジャニ(元ジャニーズ・ジュニア)。元ジャニならではの「音楽論」に一同思わず聞き入る。いわく、「邦楽はアイドル化して駄目になったとかよく言う人がいるけど、むしろアイドル歌謡があるからこそ、音楽って進化していけるんだよ。ラップとかも、ジャニーズが取り入れたら、本業の人たち焦って頑張るじゃない」「誰もがビートルズを超えるために歌うんじゃない。それに気づけない奴は、多分一生不幸なままだよ」最後はもう、殴り合いだった★久しぶりに、昼間、ギターケースを開けてみた。グレムリンがいた。もうだめぽ。それは言わない約束だぼ。

 

 

月13日(日)

 yellow tear dropsさんが凄いことになっている

お世話になっている情報系サイト「yellow tear drops」さんが、今物凄いことになっています。掲示板に突如登場したのは、なんと元「ガロ」編集長の山中潤氏。これがどれだけ凄いことかというと、・・・・・ちょっといい喩えが見つかりませんね。とにかく凄いんです。一瞬「つげ先生がうちのサイトに書き込んでくれたぐらい」と思いましたけど、「そもそも書き込みねえじゃん」と一人突っ込みしてしまいました。

そうだ、いい機会なので一応言っておきましょう。

 

つげ先生、見ていたらメールください。

 

こう書くと、悪戯してくる馬鹿が出るんだろう(いや出ないか涙)、でも大丈夫。全力で信じますから!

 話がずれました。「ガロ騒動」の内実についてはよく分からんのですが(ログは読みました)、山中潤氏はとりあえず日本の出版史に(否が応でも)残ってしまう人物だと私は思います。結果的に失敗だったとはいえ、「デジタルガロ」にしても、電子書籍というか電子出版というか、未だに進んでいないインターネットと出版の融合という分野において、先駆的かつ前衛的だったのは間違いないと思いますし、PCゲーム『ねじ式』はノベル系のフロンティアとしてゲームマニアの間では有名です。

以下、白取ちかおさんの発言より抜粋。


「山中さんがガロ編集部に、「ねじ式」のPC98対応のゲームを作ったので広告を出したい、と大浦さんたち3人と訪ねてきたときのこと、今でも鮮明に覚えてますよ。俺は長井さんの向かい側の、一番入り口側の席にいました。3人とも妙に緊張して、山中さんは堰を切ったようにガロ、つげさんへの思いを語っていましたね。神保町の材木屋の二階の編集部には似つかわしくない、青年実業家といった趣の山中さんは、俺には輝いて見えたものです。」

 ぶ、部外者ですが!「ねじ式」の経緯について詳しく聞きたい・・・・!

 

 

月14日(月)

十二月三十一日 山へ行く

 

タイトルの俳句は、昭和の大俳人・板尾の代表作です。私は俳句に疎いので、名前すら知りませんでしたけど、いい句だな、と思いました。

 ってのは嘘で、これ、芸人・板尾のお父さんの川柳なんですよね。テレビでやっていたんですけど、板尾のお父さんらしいシュールな川柳がボンボン登場して、みんなで笑っているなか、「え?これはちょっといいんじゃないか?」と思ったのでカミングアウトしました。どうでしょう。

 

 

月15日(火)いい感じよ

 

yellow tear dropsさんに再登場した山中潤氏が「つげ先生は鹿児島産の1万円もするうっちんを家族のために購入されているそうです」と発言し、漫棚さんの「水木しげると手塚治虫」を受けて、白取特急でもつげ先生の名が出てきた。つげ忠男さんが執筆開始したり、菅野修原画展が開催されたり、もう本当に「いい感じよ」。久しぶりにネットで動きがあって、私幸せよ(おっと漫画家違い)。

 

 

月16日(水)

馬場つげ研に聞いてみよう

 

Q馬場つげ研は皆大学生なのですか?


そうです(2005年現在)

Q金イさんは何歳なんですか?

永遠の16才です(綾小路翔)

Qということは飛び級ですか?

高校生です

Qどこの高校ですか?

親高校です

Q誰に似ていますか?

キャラ的には甚六です

Qということは立小便を見られたことがあるのですか?

それはないですが、勘違いして画家を目指したことならあります

Q先日のバレンタイン、さぞ高いチョコレートをお食べになったんでしょうね?

わずか一銭五厘であります

Q「言い得て妙だ」と思ったことはありますか?

赤田氏が『悲しみの世代』を評して一言、

「悲しみの世代を読んだことのない奴とは友達になりたくない」

Q最近仕入れたつげ情報を教えてください


先日古本屋で「つげ義春の快楽」という本を買いました。なんと我らが清水教授とその教え子たちの本でした。冒頭に清水教授がエッセイを寄せているのですが、実に恐ろしい内容で、必読です。2000円をドブに捨てることができるリッチマンはお買いになってください。


Q馬場つげ研でやってみたいことは何ですか?


贅沢と言うか夢物語ですが、つげ義春さん、忠男さん、菅野修さん、うらたさん、三橋さん、高野慎三さんら北冬系作家さんにお話を聞いて、それをアップしてみたいです。

Q三橋さんについては初めての言及ですが

読本をきちんと読ませていただいてます。

Q最近一番「微妙だ」と思ったことは?

週刊アクション連載中の「めぐみ」の描写です。あとは「青の時代」があるのに「光クラブ事件」が書かれたこと。

Qでは、興奮したことは?

それについては14日の書き込みをご覧になってください

 

Qぐだぐだですが
加筆します

 

Q加筆し終わってますが

戦後民主主義がどうのこうのorz

 

 

月17日(木) 罵声人語

 

ただもう雑多な日々に流され、こんな数行も書くことがないぜよ俺の人生。宗教でも入ろうかしら★つげ忠男さんのWeb漫画「曼陀羅華奇譚」を読み返したと会員から。「抜群にいいね」。そうですよね。いい感じよね。ただでは勿体ないね。完成したら、作品評を書こう。絶対に書こう★♪温泉でも行こうなんていつも話してる/落ち着いたら仲間で行こうなんてでも/全然暇にならずに時代が追いかけてくる/走ることから逃げたくなってる(『WOWWOWTONIGHT』)★会員がビデオカメラを持っている。つげ義春マガジン付録DVDは今すぐにでも出来るのだよ。頼み込めばやらせてくれないでしょうか。お金の問題が絡んでくるのかな★原宿に好きな人がいるの、と車内で女子高生。「え?誰?」「クレープ屋さんの脇にいる人。」「ああ〜彼ね」

 

 

・・・・

 

 

 

分かるんだ!

そうか。時代は変わったな。

 

 

月18日(金) 舟に棲む

 

「曼陀羅華奇譚」後編の予習として、「舟に棲む」を再読。改めてつげ忠男の漫画家としての力量を確認する。


 読んでいて思うのは、とにかく、純粋に面白い、ということだ。つげ忠男の「暗さ」がいい具合に娯楽化されていて、楽しい。良質のエンターテイメントに仕上がっている。俗っぽい感想で恐縮だが、出てくる奇人たちのキャラクターがいいし、短編連作というスタイルに嫌味がない。

 つげ忠男と娯楽作品、このくだりで思い出されるのは、昔『夜行』に載った手厳しい批判である。つげ忠男が「日和った」という内容だったように思うが(違ったかな?とにかく「つげ忠男はもう書かなくていいと思う」という文章が強烈だった)、「舟に棲む」を読めば、書き続けてくれてよかったと思えるだろう。確かに、「河童の居る川」のつげ忠男はもう居ないかもしれないが、「舟に棲む」のつげ忠男が居る。それで十分である。
 そういえば批判の中には、実兄義春へのオマージュ(?)が鼻につく、といった一文があったが、『舟に棲む』の中にも散見されるオマージュは鼻につかないというか、効果的に話を盛り上げている。ここからも、つげ忠男の進化が見て取れるのではないだろうか。私は偉そうだろうか。


 ところで、こんなスペースでつげ忠男論なんて展開できるはずがないので、するつもりもないのだが、「舟に棲む」には極めて駄目な点があるので取り上げた。それはフォントである。吹き出しの中の文字スタイルのことだ。あれはマズい。あれはひどい。初出時に全く目にすることのなかった作品を単行本化してくれただけで本来は満足すべきなんだろうが、作家の手が入らないところで作品に興ざめしたくなかった(もしかしたらつげ忠男自身が指定しているのかもしれないが)。細かいだろうか。そんなことないだろうか。ネット言語なんて、こんなものだろうか。

 

 

月19日(土) 菅野修展メール転載

 

「未完、未発表を中心に原画(着彩もあります。)64枚。

5000円、6000円、7000円、10000円。非売もあり。

菅野氏本人による額装作品。21点

12000円〜60000円(カラー原画、オリジナル着彩画など)
書籍販売は

「娼婦」1800円

   「犬泥棒の夜」2600円
   「幻燈1」1800円
菅野氏所蔵の単行本、掲載誌は会場にて読み放題。本日は菅野氏を囲んでのパーティがありますので遅くまで開場しております。」

おお・・・・(じゅるり)。

 

 

月20日(日)

なぜ竿竹屋は潰れないのか

 

という名前の本(うろ覚え)を店頭で手に取る。なかなかナイスなネーミングだが、「日常の素朴な疑問から云々」と、ビジネス論・人生論に繋がっていきそうだったので、もちろん立ち読みで済ませた。「卑近な例」。私はこの言葉が大嫌いである。卑近と別称される例の方にこそ、真実は宿るのだ。これから読む方には悪いが、結論だけ抜粋しよう。

竿竹屋が潰れないのは、

@竿竹は単価が高い&仕入れ値が安いから
A金物屋が副業としてやっているケースがほとんどで、配達のついでに   

「た〜けや〜」と流しているから

だという。そうなんだ。知らんかった。ぜひ、街でホームレスが手売りしている雑誌「big issue」に黒字が出ているかも知りたい。

 

 

月21日(月)

あびる優と下町のニヒリスト

 

「馬場つげ研」は人数が少ないもんだから、私の意見を「馬場つげ研」として出していましたが(日誌だし)、「それは卑怯だ」というお叱りを受けまして、今後このページは「金ヰ國許」名義で書かせていただきます。竿竹屋が何故潰れないかについて語る分には大差ないんですけど、例えば政治問題だとか、個人攻撃のときはね・・・ぶっちゃけどっちでもいいんですけどね。

 で、あびる優ですよ。

 各所で「萌えるでござる(切実)」と書き続けている私ですが、これほどまでにまっとうなご意見を目の当たりにすると、何か言いたくなってしまったのですね。素直に「偉いなァ」と思ったのですよ。とっくにマスコミに希望を持つことをやめてしまった人間からすれば、今回の事件、「うーん。まずはあの二の腕だよな」という頭オープンリーチな感想しか思い浮かびません。

 犯罪は犯罪であり、決して面白可笑しく語られるべきではないし、特にあびる優の場合は彼女の人間としてのレベルが露呈した、最低としか言いようがない行為です。理屈ではその通りです。

 しかし。しかしですよ。私はあびる優に「人間のレベル」など求めていません。ええ、顔とプロポーション以外の何も求めていません。北野武ほどの才能がテレビに映った途端に完全に色褪せるのを見て、どうしてあびるに何をか求めんや(文法うろ覚え・・・北野については安易に書きすぎたかもしれません)。

 で、それはあびるに留まらず、テレビ全般に言えることです。私はテレビに本質的な如何なるものも期待しない。ただただ「可愛い」と思える観賞用の女性が映ること以上の何も求めませんし、ドキュメンタリ番組のいくつかに時々「オッ」と思ったとしても、テレビという絶え間無い電波の流れにおいては、何も受け取ることができません。そして、これだけ識者たちが声を揃えてその悪を訴えているにもかかわらず、一切を相対化、無価値にしてしまうを電通資本主義を前に、恥ずかしいことですが、私のとった行動はテレビを消すことでした。
 
 ニヒリズムなんてのは害しかない、どうしようもなく安易なことだと分かってはいますが、巨大すぎるテレビを前に、今の私には皮肉を言うことすらできない。これが森監督の言う「完全に思考停止」した状況なのでしょう。それに立ち向かう人は偉いなぁ。そう思うのみ・・・・ムニャムニャ。

 フハッ。久しぶりにネット上で愚痴というか心底情けないことを書いてしまったwまあ自己紹介、ということです。疲れてるのでしょう。そのうち「ニヒリズムからは何も生まれないんじゃああああ」と本宮ばりに復活を遂げる予定(←休止してしまえ

 

 

月22日(火)  『バンビ』復刻
 

手塚治虫の『バンビ』『ピノキオ』が復刻されるという。

言うまでもなく、どちらもディズニーのキャラクターを使っているために、長らく復刻されなかった作品だ。当然講談社版全集にも収録されていないため、プレミア本の代名詞として高額取引されていた。

 ディズニーと言えば、卒業制作としてプールの壁に描かれたネズミーの絵を消させてしまうほど、著作権にうるさい会社である。ディズニーと著作権については、かつて『古書巡礼』という雑文で取り上げたことがあるサイトを紹介しておく。

 それにしても何故いきなりディズニーが折れてきたのだろうか。アトム誕生以来、実写映画化、二度のアニメ化、「PLUTO」、秋田書店系の「ブラックジャック」リメイクシリーズなど、手塚治虫の周辺が大変騒がしくなっていた。が、まさかこれらの影響でディズニーの手塚評価があがったということはないだろう。いくらなんでも今更過ぎる。悪名高い荒稼ぎ体質の虫プロが最後の一手を切った感がある。

 かつて常連だった古本屋で『ピノキオ』を見たことがある。表紙の色使いが美しく、古川益三に言うところの「ヴィンテージとしての風格」が漂っていた。あの風格を再現するカラー復刻を大いに期待する。

 そういえば著作権絡みで、ジャニーズの記事を見つけた。画像を見てほしい。これは著作権保護のためにジャニーズがモザイクを入れさせたということだろうか。ハロプロ、イエローキャブ、創価学会がネット画像取締りのベスト3だと思っていたが、これが冗談でなければ、異常なほどのガードの固さである。

 

 

月23日(水) 罵声人語

 

君は「飽きちゃった」ってあと何日で言うんだろう★メールをどう書き出すべきか、未だに分からない。まさか「拝啓。陽春の候」で始めるわけにもいかないし。話題独占中のホリエモンの著作『100億稼ぐ仕事術』を読んでいたら、社内メールの活用法が載っていた。ライブドアでは社内メールを盛んにやりとりすることで業績を上げてきた、というのがホリエモンの主張で、対社長とは思えない、平社員の実にフランクな文面。余計な前書きも社交辞令もなく、合理的に意見をぶつけ合う。フラットな社風が覗えた★しかしそんなことはどうでもよくて、「誰かフリーエロゲーをくれませんか」でもなくて、そうそう、昔漫画で読んだ笑い話を一つ。メールの変換ミスで、「○○さんは優しい方ですしね」を「○○さんは優しい方です死ね」としてしまい、職を失った男の話。文章の内容がどんなに和やかでも、ラスト二文字でどん底に突き落とすことができる、凄まじい誤変換だと思い出し笑い。「先生はいつまでもお若いです死ね」「医者には常々摂生しろって言われてる死ね」「今日の晩ご飯は押す死ね」★何年かぶりに漫画読みを再開してみた。ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオン、ヤンジャン、ヤンマガ、バンチ、ビッグコミック、スピリッツ、オリジナル、スペリオール。ブランクは大きくて、少年誌は殆どついていけない状態。うむむむむ。

 

 

月24日(木) 

ジャパニーズポップスは終わりなき旅を語れるか4

 

ちょっと間があいたので、仕切りなおしましょう。口調も変えて。

 

 

友人に医者の卵がいる。もっともこの卵、無事に孵化できるかどうか微妙な状況が何年も続いているのだが、そんな彼が「はじめて人間を切ったよぉ」と、興奮して電話を掛けてきた。

三年からカリキュラムに組み込まれている人体解剖は、医学部特権の最たる例である。一般人が人体解剖を試みても、待っているのは牢獄、最悪の場合電気椅子であるのに対し、医学部生には輝かしい未来が待っている。彼らは切り刻んだ数だけ評価されるため、心置きなくメスを入れられる。「セレブ御宅訪問」的な覗き見根性から、私は電話口で解剖の一部始終を聞き出した(ちなみに、あまり外部に漏らしすぎると退学になってしまうらしい)。

 ビッグイベント初日にも関わらず、彼はハイテンションなわけでも、暗く沈んだ様子でもなかった。ただただ、降って湧いた奇妙な体験に戸惑っていた。解剖終了から3、4時間は経過していたというのに、奇妙な興奮は止まないらしく、彼の口からは溢れるように言葉が流れ出していた。普段は語彙の圧倒的欠如が足枷となって巧く喋れない彼だが、さすがにこれだけの経験を済ませると、饒舌になるのだろう。まるでエロトークに我を忘れる中学生のようだ。

 しかし、彼は大量の言葉をもってしても、自分の経験を的確に表現できないもどかしさに苛立っていた。電話の向こうから彼は、何度も「巧くいえないんだけど」と繰り返し、必死に言葉を探していた。語るべき対象を持たない「空虚」な背景が饒舌に語るとき、それはハリウッド超大作型アクションでしかないと思います。・・・・・あれ。デジャビュ。

 彼が言葉と格闘している間、私はぼんやりと、バンドを組んで自作曲を演奏している友人の言葉を思い出していた。友人も同じように、苛々しながら私に語ってきた。曲を作っている間中ずっと、メロディーに歌詞を乗せるという歌謡曲のスタイルに、とてつもない制約を感じる、と。彼は「偉そうだけどさ」と前置きして、基本的に一対一対応であるはずがない、音符と言葉の齟齬がいかに歯がゆいものであるか語っていた。
 私は「その壁こそがプロとアマの差なんだろうね」と適当に答え、納得したつもりになっていたのだが、冷静に考え直してみると、私の知る邦楽の中に、この壁を乗り越えたと言える楽曲があるようには思えない。例えば、「褒め称えている」と勘違いされたほど肯定的に言及した、坂本サトルの「風の行方」でさえ、わずか1フレーズのみにおいて、そうした壁の存在を匂わせる程度に留まっている。天才・中村一義も終ぞ言葉遊びのレベルを超えることはなかったように思う。

 90年代後半頃からであったろうか、おそらく『DragonAsh』の大ブレークを契機に定着した「ジャパニーズ・ラップ」は、制約の中で「あえて」大量の言葉を乗せる方法を選択した。「ジャパニーズ・ラップ」といっても色々あって、海の向こうのアメリカンと使用言語が異なるだけの「正統?ラップ」的なるものも数多いが、トップ10にチャートインするほど売れているのは歌謡曲的なラップ、「ジャパニーズ・ラップ」である(もしかしたら音楽評論等でここらへんの綿密な定義付けがなされているのかもしれないが、知らないので自己流に行かせてもらう)。

 歌謡曲的視点から見ると、「ジャパニーズ・ラップ」とは、単に歌詞の文字数を増加させただけの、本質的には(表面的にも)歌謡曲と何ら違わないものである。黎明期「ジャパニーズ・ラップ」を支えた『globe』におけるマーク・パンサーこと酒井龍一の存在は、アイドル曲のギターソロにすぎないものだったが(浜崎あゆみのよっちゃんさんは例外中の例外だ)、10年が経とうとしている2005年現在も、状況は全くと言っていいほど変わっていない。
 ジャニーズの「嵐」がラップを大々的にフューチャーしてデビューしたとき、私はラップもいよいよだな、と思った。しかし、相変わらず、グレープレイプだかアップルニップルだか知らないが、沖縄のチンピラ腐れ柑橘系が「30分で作った」なんて公言しなくても聞けば分かるんだけど公言しちゃうようなアホ曲がバカ売れしているのである。「APBANK」に専念したい『Mr.children』がわざわざ、「意味なんかないさ/深くもないし/韻だって踏んでない」(「LOVEはじめました」)と皮肉を投げかけなければいけないほど、目に余る状況だ。
 

これを擁護してか、「ラップというものを日本国民が音楽の1ジャンルとして認知したのよ。根付いたのよ」と言う馬鹿女に会ったことがある。

プッシィキャァット!既成事実を積み重ねて「曲」の概念を変えていく、地道な努力なしに、何が「ジャンルとして認知」だ。何が「根付いた」だ。言葉がリズムに乗ってこそのラップ。ジャパニーズポップスは「歌詞」作りから逃げただけである。そして、そんな怠慢を許してしまうような風潮が現代日本の歌謡曲界に蔓延しているのである。

 

 

月25日(金) 

芥川賞作家を読む

阿倍和重の場合1

 

阿部和重『アメリカの夜』読了。『アメリカ』は言語の、そして認識の不可能性・限界をえがいた意欲作である。阿部は本作でデビューし、群像新人文学賞を受賞した(ちなみに芥川賞候補に選ばれた)★作者の意図が何のオブラートにも包まれず展開されるのを見て、「大丈夫?物語になるのかな」と不安いっぱいに読み進めていると、途中から急に話がしっかりとしてくる。これは、相変わらず乱発されるメタファーにもいい加減慣れ、阿部がとんでもなく根本的な(おそらく究極的な)主題にクソ真面目に挑戦していることに共感しだした証拠なのだが、そうなってくると、今度は生硬な序盤の「危うさ」が懐かしく思われるから、読者とは移り気というか、身勝手なものだ★とはいえ、冒頭で宣言したとおりに話を展開しきった力量は、「さすが」の一言に尽きる。同じ芥川賞作家でも、「インストール」のアイドル作家とは桁違いであることが素人目にもはっきり分かる。『アメリカ〜』を読んで「何も前に進んでいない」と感じるか、それでこそ執拗な『ドンキホーテ』の引用が活きてくるのだと納得するか、メタファーの本来的役割を問いただすか。三つのうちどれを選ぶかは、読者一人一人の人格に委ねられている。

 

 

月26日(金)

 山崎さやかに長編を求む


 山崎さやか原作『はるか17歳』がドラマ化されるという。『はるか17歳』は、「大学まで順調に成功の道を歩いてきた主人公が就職活動に苦しみ、内定欲しさで適当に入社した零細芸能プロからアイドルデビューしてしまう」という、文章にしてみると実に「なんだかなあ」の内容だが、連載の長期化を心待ちにしていたファンからすれば、願ってもない朗報である。
 
 山崎は出世作『マイナス』(沖さやか名義だった)で人肉食のシーンを描き、回収騒ぎを起こしたことで知られる。昨年2004年、この回を収録した完全版が発売され、「だったら回収すんなよ」と出版社サイドの適当な自主規制意識に文句をつけたくなったが、単行本がわざわざエンターブレインから出ているということは、ヤンサンでは無理だったのだろうか。回収しといてホトボリ冷めたから収録しますじゃ、ちょっと虫が良すぎるから面子的に出せないんだろうか。

 

ちなみに、倫理云々はともかく、回収当時は、「テーマ的にも描写的にも、もう少しうまい描き方あるだろう」と、私は同情的になれなかった。目先のショックで作品が深まることなど、まずありえないし、『マイナス』は長期化してこそ傑作たりうると考えていたからだ。もちろん、子供を豚の丸焼きのようにして食す、問題の回も実に『マイナス』的ではあった。しかし、削除された通常単行本を読めば容易く理解できるように、「遭難クッキング」の回は必要不可欠な要素などではなく、取り外し可能な週刊連載用小ネタにすぎない。

だからこそ私は山崎の作家性の強さを認め、回収騒ぎの責任の所在を担当編集者にも求めたいのだが、それはまた別の話として、山崎は私が連載をきちんと追った、数少ない作家の一人である。先ほど『マイナス』が出世作と書いたが、別に大ヒットしたわけでもなく、本作がドラマ化されるまでは、漫画好き以外に認知されるような作家ではなかった。ブスだけどナイスバディな女子高生を描いた『ななコング』以来、大ヒットは見込めないものの、じっくり書けば面白くなる題材を扱ってきたが(ということは「じっくり書く」ことこそ求められているわけで、人気と戦わなければいけない商業誌連載ではかなり難しいことだといえる)、どれも結果は芳しくなかった。打ち切られたのかどうか知らないが、山崎はそもそも長編向きの作家なのである。『マイナス』を含めて、どうしても中途半端な感じは否めなかった。

現在、『はるか17歳』は4巻。『フローズン』の全6巻が最長で、10巻を超える長編はまだない。巻数が作品の質を決めるわけではないということは、原秀則という成功例や数多の失敗例によって、歴史的に証明されている(何より短編作家がいる)。しかし、『めぞん一刻』が、『男おいどん』が、ある程度の量に支えられているのもまた事実である。

 

 

2月27日(土)

TYS

なんだか凄そうなガロ系サイト「manga beyond mainstream」を発見したので、早速メールを送ってみた。サイトを見てもさっぱり何人だか分からないが(多分ジャーマニー)、「beyond mainstream」というサイト名に愛情を感じる。で、こちらも名乗るわけだが、

takadanobaba tsuge yoshiharu study group」では何ともかっこがつかないので(高田馬場なんて知らないだろうし。ババ・イズ・ジャパニーズ・ゾーリンゲン! 違うか)、思い切って「Tokyo Yoshiharu Studies」という名前にしてみた。後日この名を窓烏に話したところ、「馬場っていう卑下したところがいいのに」。馬場を舐めるなよ!さて、返信はくるだろうか。・・・・・・・・来なかったぽ。悲しいぽ。

 

BGMとぼく

NHKで中高年の再就職を扱った番組がやっていた。60代男性が紙に自分の長所として色々なことを書きだしている。いわゆる『自己分析』だ。分析結果の中には「エンターテイナー」と達筆な文字が見えて、突っ込みたくなったが、それよりもBGMを聞いて大爆笑した。

 「自分の価値を再発見できて、自信がつきました」とうれしそうに語る丁度そのときに、「♪確かなものなど何もない〜」と真心ブラザーズの歌。まったく何を考えているんだろううか、国営テレビは!

 BGMつながりで、かつて、『元カノ』というドラマがあったのを覚えているだろうか。『元カノ』とは「元の(前の)彼女」という意味で、ご想像どおり、このドラマは元カノと今カノが一人の男を巡って争う、という話だった。一人の男を演じていたのがKinki kidsの堂本剛で、主題歌は彼らの『ハッカキャンディー』であった。ドラマの内容も誉められたものではなかったが、何よりも驚いたのが、BGMである。
 落ちを言ってしまうと、剛は今カノの内山理奈を捨てて、元カノ(広末涼子)とよりを戻そうと決意、代官山の改札口か飛行場かで元カノに告白する。抱き合う二人!感動のクライマックスである!
 さあ来い!BGM!「♪はあっかぁのぉ(においがぁ)」としつこいビブラートを聞かせておくれ!


 「♪見つめ合うと素直におしゃべりできない〜」



つ、

『TSUNAMI』じゃん!
何の関係もないじゃん!一言も、一秒も関係ないじゃん!

ようやく話が終わった後、エンディングテーマが流れてきました。

テロップと一緒に。

 

 

僕らは多分死んでいる

 「みんな必死なんだよ。必死で生きてるんだ。」

 噛み締めるように彼は言った。澄んだ目をしている。灰皿代わりの缶コーヒーは、吸い殻でずっしりと重くなっていた。からからからと窓を開けると、夜明け近くの冷たい風が部屋に入ってきた。

 「みんな必死なんだ。」彼はもう一度言う。

 「恋をしたり、振られたり、上司に怒鳴られたり、愚痴をこぼしたり。誰かに半ば強制的に押しつけられた場所で(おそらく神様にね、と彼は笑った)、意味のない毎日に埋もれながらも、逃げ出さず、必死で立ち続けてるんだよ。立ち止まるのは、立ち向かうのを止めたんじゃない。本当に立ち向かうべきものを知っているからこそ、一所に留まっているんだ。動き回って汗を流せば、何かやっている気がして楽だ。でもそれは目を逸らしているだけなんだよ。」



 彼はニートです。

 

 

2月28日(日) 

さようなら、クラシック
 

久しぶりにネットサーフィンをしていたら、こんな話題()を見つけた。なんと中野名物、名曲喫茶『クラシック』が閉店したという。家から遠いので通いつめていたわけではないが、それでもかなりの頻度で不味いコーヒーを飲んでいた。私が最後に行ったのが1月5日。閉店はなんと1月31日。ニアミス・・・!

 

クラシックはとにかく汚かった。店内には埃が積もっていて、世界一厳正なはずの我が日本政府がよくこんな店に許可を下ろしたな、と思うほどに汚かった(おそらく飲食店屈指の衛生状況だろう)。

しかし、誰もクラシックが潰れるなどとは思っていなかったはずだ。中野とは元々そういうものを吸い寄せてナンボの町だったし、その町に吸い寄せられた誰もが、第二の『クロ』を求めていた。実際、客の入りも悪くなかったと思う。「俺はこういうところしか来ないから」と自慢気に語るサブカルくんや、「すごいすごい」と目を輝かせるサブカル予備軍の姿をいつも見た。

 

潰れるとしたら、間違いなく建物の方が先だと思っていた。二階建ての建物は傾いて、今にも倒壊寸前の趣だった。ほぼ廃墟の内装に、うっとりした。残念ながら内部の写真はない。撮影禁止を無視してシャッターを押すと、暗すぎてフラッシュを焚かねばならず、そうすると年齢不詳のウェイターが「やめてください」と言いに来る。おかっぱの、とにかく「ザ・クラシック」といった雰囲気を持ったお姉ちゃんだった。

 

えらいきらわれたもんやなぁ、どや姉ちゃん、これでうまいもんでも食いいや。聖徳太子の一万円に、こぼれる涙が夜の星。なんや、泣かんでもええやないか、ほなブローチやろか。サファイア・ルビーに、泣かない私。

 

初めて『クラシック』に行ったのはもう5年以上前だ。友人の紹介で、映画学校の生徒Sと会った。Sはサンモールの前で、「ちょっと変わった喫茶店があるんだけど、行く?」と言って、返答を待たず、路地へと入っていった。黄色い看板には黒字でクラシック。入り口でコーヒーを注文すると、Kは「わりいね、小銭もっていないのよ」と言って、階段を上がっていってしまった。渋々彼の分の400円も払うと、私も二階へと上がった。

 

吹き抜け(?)の周りに「コ」の字型に席が10ほど並べられている。

Kは一番奥の席に陣取り、「早く早く」と手を動かした。ボコボコのソファが傾いた机の周りに何個か置いてあって、居心地は悪くない。私が席につくやいなや、Kは「最近の日本映画はね・・・」と映画論をぶちまけた。

 

で、Kは『誰も知らない』をその後撮ったとかつなげようかなと思ったんだけど、あの人映画学校じゃなくて早稲田大学出身だったと知って、やる気なくしちゃったのよさ(アッチョンブリケ)。マンマ・ミ〜ヤ〜

 

_| ̄|○

 

 

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